おいしい紅茶とお菓子でもって、死について語り合いましょう。

 

もうちょっとしっとりしてる方が好み。
スコーンにたっぷりイチゴジャムを塗りつけてそれを大口で頬張る。紅茶で流し込んでから燐は口をまだ、もごもご、させながらそう言った。 行儀が悪いですよ、と目を眇めて注意するも聞いちゃいない。もう何回注意しても直ったためしがないのだから、メフィストもとっくに諦めている。 第一、この目の前の末の弟が今更静かにお菓子を食べて紅茶を飲みだすという方が不気味に思うかもしれない。
理事長室の重厚なアンティークデスクの上に並べられたアフタヌーンティーは、見た目だけでも楽しませてくれた。それは並べた直後の話でもう半分以上も燐に食われてしまっているわけだが。 まったく自分の仕事が終わるまで待てないものか。メフィストはかろうじて残っていたレーズンのスコーンを手に取った。レーズン嫌いでしたか?と問えば、いいや別に、と返ってきた。
「今日のは全部好きかな」
「それはけっこう」
先ほどスコーンの焼き加減に文句言っていたのは、何か言わないと気がすまないだけだろう。燐はここ何年かのうちに割りと頻繁にここを訪ねてくるようになった。 その度に、部屋においてある菓子やら軽食やらを物色していくので、行動がだんだんアマイモンに似てきたなあ、とぼんやり思った。 その当のアマイモンはここ数十年顔を見てなかったな、とふと気付く。気まぐれに虚無界に戻っているだけではあったが、あちらとこちらでは時間の流れの感覚が大分違うので、 アマイモン自身はこちらではもう数十年も経過しているなんて思ってはいないだろう。また悪魔にとってその程度の時間経過、なんでもないことだった。
「今日の任務はどうしたんですか?」
「予定変更。夜からになった」
ごくごくとダージリンティーを飲み干していた。燐は祓魔師のコートを着たままで、胸には祓魔師の身分を証明するブローチがある。コートもそのブローチも大分色がくすんできていた。
「新品を用意しましょうか?」
燐のその使い古されたコートとブローチを見る度に、時々メフィストはそう提案するのだが、いつも首を横に振られただけで断られてしまうのだった。 今日も軽く首を横に振った。
「だから、別にいいって。使えなくなるまで使う」
最初、メフィストはそれをただの貧乏性なのかと思っていたのだが、最近、少し違うのだろうな、ということに気付いていた。残りのサンドウィッチに彼は手を伸ばす。 それを掴む手は、相変わらずシミの一つもなく、手の平はそれほど小さくはないのだが、手の形にはまだ抜け切らない幼さがあった。無論、祓魔師の任務で刀を握って振るっているはずなのだが、 その戦いの痕さえ彼の手には残らないのだ。ふと、人の時間でいえば懐かしいほどの以前に、メフィストの車の中でネクタイを上手に結んでいた少年だったころの彼の手つきを思い出した。 あの頃と、今と、まるで変わらない。ふと、顔を見ても、がぶがぶ、とサンドウィッチを頬張る顔は抜け切らないあどけなさが消えることなくその顔に残っている。
「…あなた、今年で幾つでしたっけ?」
メフィストの質問に燐は少し首をかしげてから、サンドウィッチの残りを口に詰め込むと、いち、に、と指を折って数えだす。一つの指で、10年分数えているだろう。
「…おお、そういえば111歳だ。1が揃うんだな」
燐は牙を覗かせて笑った。
「ってことで今年の誕生日プレゼントはずんでくれ!」
なんなら今でもいいぜ!と手を差し出す燐に、ため息。まだ夏も終わったばかりだというのに、と言えば、プレゼントは一年中受け付けてんの、と呆れた返事だ。
「去年は何をあげましたっけ?」
「板チョコ一枚だよ!この薄情者!」
「あなたなんて私に誕生日プレゼントくれたことないじゃないですか、板チョコ一枚でも感謝なさい」
「おまえはそもそも誕生日なんてねーって大分前に言ってただろ!?」
そうでしたっけ?と空とぼけて見せれば、くそ、と悪態をつかれた。
「…ミソスープ」
は?と燐が間抜けな顔をしたので、くつくつ、笑ってみせる。
「ミソスープついてた、あれですよ。あなたが勝手に食堂で作ってたランチ。あれ、また食べさせてください。たまにはそちらがごちそうしてくださいね」
一瞬、呆けていた燐だったが、遠い昔の中、そういえばそんなことがあったのを思い出したのか、青い目の中に色濃い郷愁にも似た色が落ちたのをメフィストは見逃さなかった。 趣味が悪いといわれようがメフィストは燐のこの瞬間の目が好きであった。悪魔は、どれだけ生きようと、このような感情も色も知ることはなくまた理解すらできない。 自分自身がそうなのだ。何年何十年何百年と生きようと。
「…別にいいぜ」
しばらく、昔の懐かしさにぼおっとなっていた燐だったが、やがてそう答えた。空になった皿を見て、冷めてしまった紅茶の残りはもう飲む気がないのだろう。 ピンクを基調にした花柄のティーカップをデスクに置いた。ことん。と打ち合う音がわずかに響く。
「ほんとですか?約束ですよ?」
口元の笑みを浮かべたまま、悪魔と悪魔で約束だなんて滑稽な話だな、とどこか遠くで思う。
「うん…誰かに飯作ってやるのも久しぶりだしさ」
燐は屈託なく笑った。その笑い方も昔と変わることもなく、例えば、「もしも」という仮定にさえ当てはまらないほどの話だが、もしも、 かつて彼の側にいた弟や塾の仲間達がこの111年経っても変わらぬ笑顔を見ることがあったとして、彼らはどう思うものだろうか。残念ながら悪魔で郷愁の念も、 誰かを悼む気持ちさえも理解はできないメフィストには、 その先を想像すらできないのである。



この世界には悪魔と人間のハーフはざらにいる。彼らは遺伝の具合にはよるのだが、大抵は長寿であった。しかし、半分人間であるせいか外見も年を取ることがほとんどだ。 けれど、今目の前にいる末の弟は、容姿が覚醒した15歳当時から何一つ変わっていないのだ。魔神の血というのは、やはりハーフの中でも特殊な状態をもたらしているのだろう。 燐が20歳になった時に本人も周りもそれに気付き、30歳、40歳と周りの仲間が明らかな年の影を現すようになってからも、燐は、こうして屈託なく笑って彼らの側にいた。 そのうちに、少年だった頃の彼らを導いていた先輩達が死に、同期が死に、弟が、幸福にも孫に囲まれながら寿命で、死んで。 そういう時さえも、彼は黒い服を身に纏いながらいつまでも墓の前に突っ立っていたのをメフィストは知っている。 そしていつまでも墓の前から動かない彼を、さあ行きましょう、と導くのもずっとメフィストの役目だった。そういえば藤本が死んだときと同じであった。
『なあ…いつになったらこういうのに、慣れるんだ?』
偶然でしかないだろうけど、弟が死んだ日は冷たい雨が降っていた。ずぶ濡れになっている燐の腕を引いていると、初めて燐は「死」についてそのような恐怖を抱いた言葉を吐いた。 あの時、自分は、さあ…?と答えた。
『あんたはどうやって慣れたんだよ』
その時の燐の声が震えていたのは、冷たい雨のせいだったろうか。
『慣れるも、慣れないも、』
自分にはその時の彼を振り返って例えば顔を見てやるとか、頭を撫でてやるとか、そんなことは思いつかず思いついたとしても実行はしなかっただろう。
『知らない、もので』
『…そっか』
以来、彼とは死についての話はしていない。



「んじゃ、俺いくわ」
腰を上げて、んー、と背伸び。16歳で死ぬか祓魔師試験に合格するかという極限な状態の中で手に入れたコートとブローチも。彼は当時を忘れそうになるのが怖くて、きっと砕けて壊れるまで使い続けるのだろう。
「そうですか。お気をつけて」
「おう。今回は新しく祓魔師になった奴もいるしさ!先輩としていいところ見せねえと!」
「逆に新入りにも色々心配かけさせそうですけどね、あなたって」
なにおぅ!と燐が牙を剥く。メフィストはその様子を悪魔っぽい嫌味な笑みで返して、冷めてしまった残りの紅茶を飲み干した。やはり、ぬるいのは、まずい。
燐の中で弟や仲間達の死について、これから先も長い長い時を生きていく自分自身について、どう片付けられているのか、メフィストは知らない。そんなことをいちいち告白しあうような仲でもない。 言われたとしても、自分は答えられない。だって知らないし、知ることもできない、そんな存在なのである。いっそ、燐もそうだったら楽であったかもしれないのだが、 例え選ぶことができたとしても、燐は悪魔の生を選ぶことはしないだろう。
「奥村くん」
扉に手をかけていた彼を呼び止める。ん?と眉をよせる燐。
「約束ですからね」
悪魔と悪魔で約束だなんて滑稽な話だな、とどこか遠くで思う。
「あなたと話すのは、何年経っても、けっこう楽しいので」
手を組んで燐を見れば、彼はしばらく、じっと自分を見ていたかと思えば、そっか、と静かに微笑んだ。



いつからだったかわからないのだが、燐はメフィストの部屋をこうして訪ねて、当たり障りのない会話を交わすようになっていた。 ほんとに、なんでもないような会話ばかりだ。燐が何故、そのようなことをしているのか、メフィストはなんとなくわかっている。 移り変わる時間の中、置いてかれる自分の中、変わることのない何かを求めて、なんだかんだで、この場所を選んでいるのだろう。
ようするに、燐は、さみしいのである。
燐の中で弟や仲間達の死について、これから先も長い長い時を生きていく自分自身について、どう片付けられているのか、メフィストは知らない。 そんなことをいちいち告白しあうような仲でもない。燐の中で、燐なりに考えて、きっと弟や養父や仲間達との思い出は綺麗な箱の中に入れて、時々、宝物を眺めるように蓋を開けているだけであろう。 人はそれを郷愁とか哀愁と呼んで同情し、悪魔は付け込むべき執着と嗤う。悪魔でもない人でもないどちらの道も選ばなかった燐は、きっとその両方を知っているだろう。 だから、燐は、さみしいのだ。
空になった皿とティーカップは、指をぱちんと鳴らしたのを合図に、ピンクの煙を上げて消えた。 それを見て、メフィストは今更ながら、気付いたのだった。そういえば、いつも燐が訪れるこの時間に用意する菓子も紅茶もいつの間にか、彼の好きなものばかりにしていたことに。 それを自覚して、くつ、と嗤って天井を仰いで、なんだ私もさみしいのかもしれないな、とメフィストは思うのだった。



だから、今更かもしれないが、これからは、彼と少しずつ「死」についての話をしていこう。







2011.9.5