ノドが焼けるほど甘いのね

 

「僕を飼ってください、奥村燐」



ふっさあ、と。目の前に差し出されたのはヒマワリの花束だった。ちなみに窓からの不法侵入である。えこいつ倒したはずだと思ってたんだけどなにもしかして報復!? と慌てて倶梨伽羅に手を伸ばそうとした燐に対して発せられた最初の一言がそれであった。思わず固まったしまう。えーと確か、アマイモンとか いったっけ?なんでこいつそんなこというの、ていうかその花束なに?かう?買う?飼う?
「…なんで俺がおまえを買うの?俺、小遣い月2000円だぜ…」
混乱した燐の返しがそれである。これでも伊達にサタンの息子で悪魔に関わってきた候補生ではない。悪魔の突然の行動にはある意味慣れっこだった。 特にあのピエロのせいでもあろう。
「そしてその貴重な2000円で、たとえおまえが1円だとしても使う気はねー!」
「奥村燐、そちらの買うではなくて、こっちの「飼う」です」
長い爪をした指先が、空中で「飼う」の字を書いた。ああそっちの飼うねその前にこいつ漢字書けるんだ、って納得している場合ではないのである。どっちにしろ、タチは悪い。
「いやいやいや、そっちもダメだ、っていうかなんでいきなり…!?」
「いきなりじゃないでしょう?そっちじゃないですか、飼いたい、って言ってくれたの」
「そんなことを言った覚えはねーよ!何月何日何時何分地球が何週回ったときだよ!?」
「そこまで詳しく覚えてはいませんが…でも言ってくれたじゃないですか」
ことん、と首をかしげるアマイモンを見て、もしかしたら燐はそんなことを言ったのかもしれない、と色々思い返してみても、やっぱりそんな覚えはない。 何をどうしたらこいつを俺が飼いたいなどと思うのであろうか。最近確かにハムスターを飼ってみたいなどとは言ったが、あれはメフィストのペットだったし、何より クロがいるし。そもそもハムスターのことであって決してアマイモンのことではない。
「ダメでしょうか?こうして花束まで持ってきたんですが」
「っていうかなんで花束なんだ!?」
やたらバカでかいヒマワリを両手に一杯。アマイモンはそれを自分に押し付けてきたので、ヒマワリの香とか花粉とかが服につきそうであった。花は嫌いじゃないけれど、 この場合、好き嫌いとかそういう次元の問題ではない。
「あれ、人間の間では、一緒に暮らしたい相手に対して何かプレゼントをしてお願いするものだと思ってましたが?花束とか…指輪とか?」
「うーわーあー!それは意味がちげーよー!?」
絶対アマイモンは何かカンチガイをしている。しかもやっかいな方向にだ。おっかしいなあ、とアマイモンはまた首をかしげた。無表情のその顔に悪意とかわざとらしさは感じられないので、 冗談とか報復でこんなことしてるのではない、ということはなんとなくわかる。わかるのだが、わざとではないという方がむしろ問題だ。いっそ嫌がらせだったなら楽だろうけど、 たぶん気配からして違うんじゃないだろうか、と燐は思った。
「意味が違うんですか?ふーん…人間のすることはやっぱりよくわかりませんが…でもまあ、いいじゃないですか、僕を飼ってください」
「よくねーちっともよくねー!っていうかおまえってプライドねーの!?」
「地の王としてはもちろんありますけど、欲望を満たすためにとことんやるのもまた悪魔です。僕は君に飼われたい」
「だから意味わかんねーし、飼わねーから!」
「君に合う花束は何か考えたんですけどね、ヒマワリとかいうこの花ならいいかなって思いまして」
ダメだ、どんどん会話がかみ合わなくなっていく。メフィストもそうだが何故、悪魔ってこんなにマイペースなのだろうか、と燐は自分も自分でけっこうなマイペースだということはとりあえず棚に上げて、 そう思った。もう頭痛くなってくる。今なら普段自分に振り回され気味の弟の気持ちが分かる気がした。雪男なんかごめん。
と、燐がふと現実逃避をし始めた隙にであった。がしい。燐はアマイモンに両手首をつかまれ、そのまま抵抗する暇のないままに机から離されて、燐のベッドにダイブである。 ぼすん。見上げればそこの無表情の悪魔がいて、燐は体を強張らせた。何かされる!たぶんやっぱり殺しにきたのか!?と目を見開いたがアマイモンはこちらを見下ろしてくるばかりだ。
「君のことをね」
ぼそり。何故か耳元近くで囁かれて、ぞわっと鳥肌が立つ。
「何故か、ずっと考えていたんですよ。あれからけっこう僕、頑張ってなんとか元には戻ったんですけど、その間も今も、君を思い出すと、なんかこう胸の辺りが苦しいを言いますか…」
「……」
「君のお菓子の味も忘れられないといいますか」
「え、俺おまえにお菓子なんて作ってやったか?」
それにもとんと覚えがないのだが、アマイモンは頷いた。ええちょっと待ってくれ、そんな覚えほんとにないんですが、と戸惑う燐に構わず、アマイモンは続ける。
「男を落すにはまず胃袋から、とテレビで見ましたが、ということは僕は見事に落されたんですかね?」
「俺はそんなつもりで料理をしたことは一度もねー!おい、もういい加減のけよ!」
ぐぐ、っと相手の胸を押し返すがこれが恐ろしいほどびくともしないのである。刀を抜いていない状態でも燐の怪力はかなりのものだし、普通これぐらいの力なら人間1人は吹っ飛ばせる。しかし びくともしない。そうだこいつ悪魔だった。そして自分は今その悪魔に押し倒されている。よく考えなくてもこれってピンチというやつだ。と自覚してから燐はようやく、 さあっと寒気がしてきた。やばいやばい、たぶん殺されてしまう、おお俺はなんて危機感がないんだ!と燐が普段、雪男に口酸っぱく言われている「無防備」という点をようやく実感したのだが、 時、すでに遅し。
「なんだかあの時から、謎の鼓動を感じていてですね」
つつ、と頬を鋭い爪で撫でられて、燐は思わず身をすくめた。目は閉じられない。怖いことには怖いのだが、これはなんだろう、なんか殺されるといった恐怖とは違うというか。 そういえば相手から殺気を感じられないのも妙であった。
「君に飼ってもらえれば、それが何かわかるかなあ、って」
「……」
「ね、だから僕を飼ってください…いいでしょう?」
無垢(に見えて欲望丸出しの悪魔なのだが)な大きなタレ目を向けられて、燐は思わず言葉に詰まってしまった。だが、いやいやしっかりしろ俺、流されてしまってどうする。 第一、やっぱり飼うとか意味わかんねーし。それって一体なんなの?具体的にどうすればいいの?毎日三食ご飯を作ってやっておやつにお菓子を作ってやって時々遊んでやって夜は同じベッドで一緒に寝るとか? うわーこれがクロとか普通のハムスター相手なら確かにペットとしての光景かもしれないが相手はどう見ても人型の悪魔じゃないか、こういう生活はペットとのそれではなくて新婚さんのそれじゃないか。
「…やっぱ無理!」
無理だ無理に決まっているだろう。危ない危ない流されるところであった、と思った燐だったが、その瞬間、アマイモンは、そうですか…と頷くと、
「ってぎゃああああ、てめーは何をやってやがるううう!?」
あろうことは燐の着ているテリヤキトリとロゴの入った妙なシャツを脱がしにかかってきた。なんだもうわけがわからないが、とりあえず脱がされるのを阻止しようとしたが、 相手の力もなかなかであった。っていうか気迫が怖すぎる。
「仕方ありませんね。やはりここは悪魔らしく強引にいきます」
「うわあああ、やめろー何する気だー!?」
「あれです、なんかのドラマで見ました、とりあえずキセージジツというのをしてしまえば一緒に暮らせるとかどうとか」
「は!?既成事実!?おまえ何言ってんの!?っていうかなんのドラマ参考にしてんだよ!?」
「お昼の1時ぐらいから土日除く毎日放送しているやつでですが」
「それは思いっきり昼ドラじゃねえかー!」
やばい。男同士で既成事実もなにもなにもできっこないのだが、さすがにここまではっきり行動に移されれば普段、そういうことに疎い燐でも当然わかった。襲われる。別の意味で。 マジで。俺まだしえみとデートもしたことねえのに、その前にしかも悪魔の男なんかにこうなっちまうの!?あんまりに哀れな青春じゃないか。と動転しまくった燐は青い炎で相手を焼いてしまえばいいのだ、と いうことさえ思いつかず、思わず咄嗟に頭をかすめた人物の名前を叫ぶことしかできなかった。

「うわあああ、雪男おおおおお助けてえええええええ!!!!」

「兄さああああああん!!!!」

叫んだわずか1秒後。ばったーん!と勢いよく扉を開けてなんと弟が祓魔師のコートを着たまま両手に銃を抱えて602号室に戻ってきたのである。あまりのタイミングに思わず叫んだ燐本人もぽかんとしてしまったが、 アマイモンはあからさまに、ちっ、と舌打ちをした。扉の前には恐ろしい殺気を放って銃を、がちゃり、と装着する雪男。目の前には悪魔に組み敷かれた大事な兄という図。とくれば雪男の起こす行動はただ一つである。
「兄から離れろ、この悪魔が…!」
そしておそらく軽く10発ぐらいの発砲である。がんがんがん。生憎一発も当たることなくアマイモンはかわしたのだが。
「ゆ、ゆきお!」
「兄さん大丈夫!?怪我してない!?そして主に貞操の方とか!」
「い、いや大丈夫だ…」
貞操どうこうの部分のつっこみはとりあえず、置いておこう。組み敷かれてベッド転がっていた燐を雪男が抱き起こしてどさくさにまぎれて抱きしめた。がしい。そしてさりげなく本当に兄は何もされていないか確認する。
「兄さん、よかった無事で…」
主に貞操が。
「雪男…俺もう色んな意味でダメかと思っ…っておまえなんで来れたの!?確か任務の出張で今日は帰ってこれないって…」
「ふ、僕がなんの対策もなしに兄さんを独りにしておくはずがないだろう、こんなこともあろうかと…本当だったらフェレス卿への対策だったんだけど… 兄さんのベッドや机や厨房とか普段兄さんが行動する部屋のいたるところに特別な結界を張っておいてね、兄さんに何かあれば僕に伝わるようになってたんだ」
え、こいついつの間にそんなことしたんだろうか兄ちゃん聞いてないんだけど…と燐は思ったがとりあえずそれのおかげで助かったのは事実なので、言わないでおいた。 (実はその結界、双子がこの旧男子寮にやってきた初日から貼られたものである。)
「兄さんの危機を察してカギ使ってすぐにこっちに来たよ!」
「あ、ありがとうな雪男…っておまえ任務はよかったの?」
「愚問だね兄さん。祓魔師の任務よりもなによりも兄さんが大事だし、兄さんは僕が守るって決めたんだから(ちなみに残りの任務は全部シュラさんに押し付けてきました)」
主に色んな意味でも。
「雪男ぉ…俺、俺もうダメかと…!」
「兄さん…!よかった本当に間に合って!」
「ちょっといつまでそうしているんですか…僕は無視されるのは嫌いだなあ」
そこでようやく雪男は、米神に青筋を立てながら件の悪魔を睨みつけた。下級から中級程度の悪魔ならおそらく怖気づいていそうなほどの眼力である。人間ではあるが さすがにサタンの息子の弟といったところだろうか。しかし、悪魔の力を継がなかった時点で兄弟概念はこの人間対してはないな、とアマイモンは思う。いやもうむしろ邪魔者である。
「…てめぇ…よくも僕の兄さんに手を出そうとしたな」
「え、ちょ、雪男?」
弟がすごく怖い。いつだったかメガネをダイビングで破壊してしまったときの100万倍ぐらい怖いのではないだろうか。思わずベッドから降りて後ずさる燐。
がちゃ。銃を構える雪男と姿勢を低くめにして戦闘態勢に入るアマイモン。
「邪魔をしやがりましたね、奥村燐の弟。僕は今ものすごく腹が立っています。あろうことか奥村燐に抱きつくとは」
「兄弟ならそれぐらい当たり前でしょう?というより、そちらこそ、人の兄に手を出そうとして…覚悟はできてんだろうな、トンガリ頭!」
いや、とりあえず兄弟で抱き合うとか当たり前のことともいえないのだが、燐はそういうつっこみをする間を見つけられなかった。
「一体何の目的で…」
「奥村燐に飼ってもらうためですよ」
誤解のないように先に指で空中に「飼う」の字。ひくり、と雪男の口が引きつった。
「はっ、何をふざけたことを…!第一100歩譲って兄が君を飼いたいなどと言い出してもその前に僕が貴様をゴミ袋に放り込んで粗大ゴミに出しておくからな…!」
いや、俺も100歩譲っても飼いたいなんて思わないから!と燐は叫びたかったがどんどん602号室に満ちる殺気に、これはもう悪魔としてか人としてか危機感知能力が働き、じりじり、出口まで後退した。
「ふざけてませんよ、本気です。それに粗大ゴミに出されるようなヘマしませんし、その前にキセージジツでも作って奥村燐に僕を飼うよう悪魔の契約でもさせますから」
え、なにこいつ何気に怖い計画立ててたのか、と今一度冷や汗が流れる。そして雪男の米神の、ぴき、っと音を立てた。
「邪魔ですね、君は」
「それはこっちの台詞だ…兄さんに手を出すやつはたとえ誰であろうと、許さない」
それ以上の言葉はない。何故なら、燐は咄嗟にもうやばい!と察して勢いよくドアノブを回し、廊下に逃げた途端に、銃だけのものとは思えない爆発音が602号室から響き渡ったからである。







「おや、こんなところでどうしましたか奥村君?」
旧男子寮の外で。ぼんやり上の階を見つめていた燐を見つけた(というかわざとこっちに来たのだが)のはメフィストだった。
「あ、メフィスト…今さ…部屋というか寮自体に戻れなくて…」
力なく指差す方向。なにやら煙とかが窓から上がっていて、現在進行形でどかんばこんと爆発音が響き渡っていた。
「派手にやってますねえ」
呑気に見上げるメフィストに笑い事じゃねえよ、と燐はため息をついた。
「なーんでこんなことになっちまったんだろうなあ…止めようとは思ったんだけど、雪男もアマイモンもただならねえ殺気放ちまくってて、すげー怖いし」
「ま、いいじゃないですか?奥村先生も普段からストレスを溜めていますから、ガス抜きという意味でも」
「人事だと思って!俺は今日どこへ行けばいいんだよ!」
と嘆く燐に、メフィストはわざとらしく考えるふりをしてから、にや、っと悪魔的な笑みを浮かべた。この場に燐以外の誰かがいたならその笑みを見て止めたかもしれないが、 燐は気付かなかった。そういう意味でもやはり無防備な悪魔の子なのである。
「でしたら、私の屋敷にでも来て下さい」
「え、いいのか?」
「構いませんよ。その代わり…先日いただいたケーキですがね、あれ甚く気に入りましてできればあれをまた作っていただきたいんですが」
どうでしょうか、もちろんこちらもごちそうしますし。
という甘い誘惑に燐はぱっと顔を輝かせた。主に「ごちそう」というワードに。
「マジで!?俺スキヤキがいい!」
「はいはい、なんでもご用意しますから。その代わり、」
「わかったケーキでもなんでも作ってやるよ!今度はどんな味のがいい!?アンタの好きなの作ってやる!」
ぶんぶん揺れる尻尾に、メフィストはにっこり笑ってみせる。



「……では、ノドが焼けるほど甘いのを」



漁夫の利とはこういうことだ、とメフィストは最近覚えた日本語を思い出して独りほくそ笑むのであった。











2011.8.30