正十字学園理事長室事件

 

悪魔の間で力の差というものは絶対である。生まれもってきた力を変えられることはできなければ、生まれもった己の階級を覆すことも不可能だ。 与えられたもの以上もそれ以下もなく。だからこそ虚無界はメフィストにとって退屈極まりない場所であったのかもしれない。 それに比べて人は脆弱で貧弱で中道にして病みやすいめんどうくさい生き物だが、悪魔などよりよほど可能性を持った生き物だった。だからこそ見ていて面白いし、 人の女と魔神を親にもつ奥村燐はメフィストにとってそのおもしろい対象である。とてもおもしろい。ただおもしろい。それだけのはずであった。



悪魔の間で力の差というものは絶対である。生まれもってきた力を変えられることはできなければ、生まれもった己の階級を覆すことも不可能だ。「成長」ができるのは人だけであり、 それはつまり悪魔を辞めたも同然のこの下級悪魔にもそれが当てはまるというわけだろう。なるほど。そうでなければ、あのような反抗的な目でこちらを見てくるはずもないし、
「フェレス卿は燐…若君様をどうしたいので?」
などという生意気な質問をしてくるはずもない。
悪魔を辞めたも同然で己の眷属の長であったパズスを倒したその時から、夜はある意味悪魔でも人でもない境地にずっと立っているのだろう。その境遇は奥村燐と似ているけれど、 まったく立場の違う話だ。おまえのごときの悪魔一匹悪魔を辞めたところで悪魔を裏切ったところでなんの影響があろうか。内にてメフィストはそう思うのだがあえて言葉には出さなかった。 必要とあらば己の階級の差を思い知らせることも一つの手段ではあるが、メフィストはその方法をあまり好かない。何より夜にとってはあまり効果のあるものではなかった。
夜の正式な所属はヴァチカン本部である。けれど奥村燐と出会った日を境に何かとこちらを訪ねてくるので、ついでに日本支部の任務も割り振っていた。それはある意味、夜が日本支部にくるための「理由」としてメフィストが用意しているともいえよう。 夜もそれに気付いているはずである。今しがた終えた日本支部での任務結果をまとめた報告書を重厚なメフィストのデスクに置いた。そのデスクの上にはメフィストが趣味で集めた小物などが鎮座している。 これらも全てメフィストの退屈しのぎの一つから始まっている。豪華な理事長室にある家具も花瓶も貴重な装飾品も、すべては退屈しのぎから始まっているといっても過言ではなかった。 メフィストは紫の手袋をした指先で報告書をつまんだ。 先ほどの夜の質問に考えあぐねいている振りをしながら。
「どうしたいと?サタンを倒す武器にしたいに決まっているじゃあないですか」
すでにオペラ座での尋問を終えたあとだったので、この話は夜の耳にも入っているはずである。いや今の祓魔師ならが全員知っている話だった。奥村燐の存在はこの世に明らかになったわけだ。
夜はその答えにやる気のない視線をよこして、耳の裏をぼりぼり指先でかいていた。その容姿は燐に似ているがまったくの他人の空似であるという。 憑依とは少し違うその方法は、燐にほどこした封印と似てはいるのだろうが詳細はメフィストも知らない。予想はできるけれど事実は知らないし、聞く気もなかった。
「の、割には大事に箱の中に閉まっているようでしたので」
言外に、重ね続けている結界を「少しやりすぎだ」と言っているのだろう。こいつが祓魔師で悪魔を辞めた悪魔でなければ最初の質問で殺しているところだが。
「用心するに越したことはないですよ」
そうだ。今何かあって死なれてはおもしろくないのだ。状況は確かに厳しくなった。アマイモンと戦わせた時のように限りなく死線に近いものを経験させてこそ燐は成長する。 成長させなければならない。その可能性がある子供であるし、そうなってもらわなければ「おもしろくない」のだ。つまるところメフィストが、夜が日本支部に来て燐と接触することを止めずにむしろ そうなるように仕向けているのはそういうことなのだ。悪魔と人間の境に立っている存在などそういるものではない。
「それより…奥村くんはあなたによく懐いているそうで」
こちらの質問に答えてないぞ、と言わんばかりに赤い目が細くなったがメフィストは無視した。
「これからも色々教えてやってくださいね。あの子はまだまだ知るべきことが山ほどある。私では上手く教えられないことも多くあるもので」
所詮、純正の悪魔とハーフの子どもであった。メフィストは己が人間をおもしろいとして観察したり考察したりはするけどもそれが「理解」からは程遠いと知っている。 夜も確かに悪魔なのだが彼はもう悪魔とはいえない。
「あなたは随分と余興が好きなのか…ですか?」
普段敬語を使うことにはやはり慣れていないのだろう、素の出てきた口調にメフィストは口の端だけで小馬鹿にしたように嗤った。
「ええ、退屈は死なない悪魔をも殺す」
「生憎、俺はその日を生き延びるのに手一杯だったので、あなた方のそういう退屈しのぎは理解できません」
嫌味でもなんでもなく、あっさりと告げられたその言葉に特に驚くことはない。下級悪魔とは確かにほとんどがそうなのだ。強ければ強いほど魔神に近ければ近い創造物であればあるほど、 メフィストのように退屈で死ねる。
「おや、ならば奥村くんの相手はもうしてくれないので?」
「そうは言ってませんが…」
こちらの思惑に乗るのが嫌なだけだろう。けれど、夜にとってそれだけであの少年の側を離れるほどの理由にはならないのも、また事実だ。
「…あなたのしていることはどうも矛盾していますね」
話ながら考えているのだろう、夜の赤い目はどこか思案気に彷徨っていた。メフィストは淹れたばかりの熱い紅茶に口をつけた。濃いクマを持った眠そうな目はじいっと若い悪魔を見つめている。
「様々なことを教え教育し武器として育てる。一方でどんどん結界を強めている…燐…若君が成長していくたびに青い炎の質量が増すたびに…まるで、」
「……」
「まるでおもしろい玩具というよりは、恐れているよう」
「あなたね、」
かちゃり、と高価なティーカップがデスクを打つわずかな音がした。
「もし、あなたがまだ悪魔という立場を捨てていなければ、今ここで引き裂いているところですよ」
メフィストから発せられる悪魔の殺気に本来ならばそれだけで他の悪魔は消えるだろう。しかし、夜は肩をすくめただけであった。捨てきれない悪魔としての本能から、 恐怖は感じているだろうに。それをおくびにも出さない辺り、若いというのにそういうところは感心するなとメフィストは思う。最早お互い話を続ける気もなければ、 これ以上は不毛であった。夜は、背を向け扉に向かって歩き出す。しかし、扉に手をかけたところで再び夜は赤い目をメフィストに向けた。
「あなたは若君が恐ろしい。成長する青い炎が恐ろしい。そして、いずれあなたの結界さえ飛び越えて、どこかへ行ってしまうのも実は恐ろしいんじゃないでしょうかね」



「あいつ、下級悪魔の分際で生意気ですね」
ひょい、と天井のどこかに張り付いていたのだろうアマイモンが赤い絨毯の上に降り立った。と同時にデスクの上に置いてあったスナック菓子をわし掴んで袋を破くと、ぼりぼり、 食べだした。理事長室には今だメフィストの放った殺気の名残があった。当のメフィストはまだ扉を睨んだままで、ティーカップの中身はすでに冷めかけている。
「兄上もイライラするなら殺してしまえばいいのに」
「…悪魔であるだけならばそうしたさ。今はもう上一級祓魔師だ。人の世界で立場あるものを殺すというのはそれなりにめんどうなことなのだよ、アマイモン」
ふーんつまんないですね。とアマイモンは勝手にティーポットを手に取るとそのままだばだば口に流し込んだ。熱くはないのだろうか、というかおまえちゃんとカップに注いで飲め、とメフィストは半ば呆れる。
「…それにやつはパズスを倒している。正直、私は奴が好きではなかったからな、清々しているさ。生娘を16歳になるまで悪趣味に囲って喰ってしまうなど、もう何百年も前に廃れた習慣だぞ。 何より紳士的じゃない」
嫌悪感も露にすればアマイモンも、僕もそれは趣味じゃないなー、と呑気に言った。
「あと、あいつ、ずるいです。奥村燐と遊んでいる。僕だって遊びたいのにな。まあ、僕はあんな生ぬるい遊びなんてしたくないけど」
「そう言うな…また時が来たら末の弟と遊んでやれ」
「今度こそ、鳩時計に閉じ込めるのはなしでお願いしますね」
考えておいてやろう、というメフィストの曖昧な返答も特に気にした様子もなく、無表情のままアマイモンは頷いた。そして数秒遅れて、あ口の中火傷しました…、と呟くのだった。



あなたは若君が恐ろしい。成長する青い炎が恐ろしい。そして、いずれあなたの結界さえ飛び越えて、どこかへ行ってしまうのも実は恐ろしいんじゃないでしょうかね。
悪魔を辞めながらも人にもなりきれない道を選んだ若い悪魔の言葉を反芻する。前者の言葉はわかる。だが、後者の言葉はなんだろうか。メフィストは考えるも、所詮、 純正の悪魔であった。人のすることをおもしろいと思い観察し考察することはできても「理解」には程遠い。またそうする必要さえないと思っていた。だがあの悪魔に言われた言葉のせいで、胸の内に引っかかるものはなんだろうか。 「理解」できないなあ、とメフィストは遠く扉の向こうを見つめるようにそう考える。本当に生意気な悪魔だ。燐を成長させる思惑がなければさっさと日本支部から追い出しているし、 悪魔のままであるのならばとっくに殺しているというのに。

どこかへ行ってしまうのも実は恐ろしいんじゃないでしょうかね。

いやいや、やはりない。断じてない。あの子はただのおもしろい玩具である。











2011.10.30
悪魔のメフィストの前では一応立場をわきまえて「若君」呼びしてるのも萌えるなあと思いまして。そして無自覚メフィスト。