梟の骨 最終話

 

「いやあ、新寮の一部は燃えてしまうし数百リットルのA濃度聖水は全てダメになるし旧寮は屋上と一部分が崩落するしで散々ですけど!」

おもしろいものを見させてもらった。







日はすでに昇りきり事後処理のため祓魔師達が走り回っていた。その中にはシュラと塾生と奥村雪男の姿もあったが奥村燐の姿だけが確認できず、おや、と視線をめぐらせれば未だ旧寮の出入り口に 背を丸めて座り込んでいる。メフィストは少し離れたところからその背を見ていた。足元には崩れきった汚泥の塊。それを見て懐から「あれ」の一部分を封印した試験管を取り出す。 そちらのものも燃え尽きた後のように燻って墨のように固まっていた。
「…わかりませんねえ」
先ほどまでの数年は冷めぬだろうという高揚はすでにどこか冷めかけていた。道化の悪魔は足元のそれを見下ろし、首をかしげた。

「悪魔に愛はないとは言い切れませんが理解はできないし人のいうとろころの愛とは違うのは確かです。ですが、 なぜ、あの父上に、あの父上に最も近い悪魔であった「これ」が何よりも人らしく 父親の愛を求めるような存在となってしまったのでしょうねえ。なんにも与えられなかったというのに、わかりませんねえ………ほんとうにわからない」



『おまえは俺の「虚言」と虚無界の「虚構」で出来たのだ』



かつて誕生した頃、最初に浴びせられた言葉はメフィストの深い深い思考の中で、ほんの少しだけ蘇えってきたがそれは意識する前に煙のように掻き消えていく。

道化の悪魔はしばらく試験管を手の中で弄びそして全ての興味を失くした。

ぱりん。

足元に落せばそれはあっけなく割れて、零れた中身はぐずぐず溶けて物質界の空気の中に散りとなって消えていく。

「…いやあ、しかし新寮の一部は燃えてしまうし数百リットルのA濃度聖水は全てダメになるし旧寮は屋上と一部分が崩落するしで散々ですけど!………青い炎と奥村燐は本当に私を楽しませてくれる」

ほんとうにおもしろいものを見させてもらった。

道化の悪魔は少年の後ろで実に楽しそうに嗤っている。















「燐」
昇りきった朝日が体を温め始めた頃、シュラはどかりと隣に座って、燐の手の中の骨を一瞬覗き見るが、何も言わなかった。燐も何も言わなかった。シュラは未だ水で濡れていて赤い神が背中や胸に張り付いている。 燐はシュラに目を向けることもなく、手の中の骨だけを見つめていた。
「…救おうと思って、」
シュラが事後処理に駆け回る仲間達をどこか遠くに見ながら呟く。
「救えなかった、なんてことは祓魔師になれば腐るほど経験する。むしろ何が救いなのかわからなくなる時もあったりする」
「………」
「…あたしはこんなこと言うガラじゃないけどさ、なんてーの?」
くしゃり、と髪を撫でられた。それは撫でるなんて優しいものではなかったがなんとなく、獅郎のそれと似ているように思えた。ゆっくりシュラの顔を見るがシュラは真っ直ぐ前を向き、 その横顔を朝日が照らしているだけだ。
「…いつかおまえ自身から話してくれればそれでいーよ」
にかっと笑う顔もどこか獅郎に似ていてそんなところからやっぱりこの人は父さんの弟子だったんだな、と燐は改めて感じた。シュラはおそらく様子のおかしかった自分を見て、ほとんど詳しいことをメフィストから聞いていたに違いない。 それでも燐自身で答えを出すのを待ってくれるというのだ。ごめんいつか話すと思うけど、と燐は言葉には出せなかった。最後に、ぽん、と軽く背中だけ叩かれてシュラは腰を上げる。 んじゃあとは頼んだビビリ。という言葉に顔を上げれば雪男が去っていくシュラとすれ違っているところだった。雪男は珍しくシュラに軽く会釈していた。
雪男は何も言わずにしばらく燐を見下ろしていて、やがてゆっくりシュラのように隣に腰掛ける。弟の頬やコートは黒く墨のような汚れがついていた。たぶん自分も同じだろう。 けれど破れてしまったシャツから見える左胸にはもう傷はない。太陽に照らされる体は正常に温かくなっていく。左胸に沈み込んだあれの気配は、今は少しも感じなかった。 あれが今後、自分の中でどうなるかはわからない。どんな形でいつか「創造」することがあっても、抱え込んだからには何があっても抱えていこう。 自分にある力とこの先どう付き合っていくか、どのように扱っていくべきか、全ては自分自身に託されてるのだから、と燐は決意しつつ細い骨を指先で撫でた。
「…この骨さ」
先に言葉を発したのは燐で、手の中の細く小さな梟の骨を指で摘み上げる。
「すげー小さくて細いよな…。これ、たぶんあの飛びたてずに死んだ「梟」の骨なんだ」
燐達が知っていた立派な羽を持った梟のものにしては小さすぎる骨。飛び立つ前に死んだあの小さなヒナの死骸を使ったから残ったのはこれだけなのだろう。 ならば、確かに自分達の前で飛んで鳴いてくれたあの梟の骨は肉は羽は何であったのか。仮初だったといえばそれまでかもしれないが、それでもフータは確かにいてくれた。
あの道化の悪魔は悪魔を命とは言えないと言ったが、それでもあの梟は燐にとって命だったかもしれない。どれだけ哀れでも。たとえ残ったのが小さく細い骨だけでも。
「…兄さん、僕は」
目が熱くなってきたので誤魔化すように袖で拭った。
「アサガオの観察ができないって怒ったり梟のヒナがかわいそうだって泣いたりしたけど…本当はあの頃の僕は、綺麗なアサガオも梟もいらなかったんだと思う」
拭った袖を下ろして弟の顔を見れば弟は、汚れた顔で燐を見つめ返し燐の骨を握る手にそっと無骨なその手を重ねた。
「僕が一番失いたくないのは兄さんだよ、昔から。 僕はね、兄さんが隣にいてくれないと人生を喜べないし、兄さんがいなくなればきっと一生笑うこともできなくなる」
「………」
「…兄さんが側で笑っていてくれれば…きっと僕は、悪魔堕ちも踏み止まれる」
雪男が燐の前で、悪魔堕ちのことを言ったのはこれが初めてだった。燐は青い目を零れそうなほど丸くする。雪男は微笑んでもいなかったが緑を混ぜた青の目にはしっかりと燐を映していた。

「俺は…人じゃねーぞ」
「そんなの兄さんより先に知ってた」
「これから先も苦労させるし眉間のシワがクセになるぞ」
「今更じゃないか、何言ってるの。そんな遠慮を知ってる兄さんだったのは知らなかったかな」
「…なんだよそれ」
「そのままの意味」

現実には見えない深い穴があり、未来にも光があるかはわからない。自分達のゆく道はそういうものだ。それでも重ねられた手はぎゅっと握られる。 冷たかった梟の骨が二人の手で温まっていく。それを確かに手の中に感じて、そっか、と燐は呟いた。
「…なんかねみーな…」
勝呂達にばっかり後片付けさせるのは悪いと頭の片隅でわかってはいたが、瞼が言う事を聞かずに降りていく。
「…そうだね、少し寝てなよ」
と弟にしては随分甘いことを言ってくるので、すでに夢ではないかという心地になってきた。雪男の肩に頭を預けるつもりが思ったほど力が入らなくてずるずると胸まで滑る。 もういいやこれで、と思う。まだ雪男にも事後処理が残っているだろうけど、雪男が自分をどけないのが悪い。そして、雪男の心臓の音がとても心地いいのだ。

とくん。とくん。とくん。

穏やかにその音は耳に入り、血の脈をめぐり燐の心臓にも落ちていく。

「明日、お墓作ってあげよう。あの黄色い花を添えてあげようね」

その声がかつての獅郎の言葉とも被り、燐は、おお、と寝言のように答えた。



「おやすみ、兄さん」







俺の帰る場所はここだ。







眠りゆき沈む意識の中、ただこれだけは鮮明に刻み付けられた。















2012.4.1 完結。ありがとうございました!