Keloidal

 

ほんとはわかってた

雪男が俺を騙して、使い魔にしようとしてたこと。でも、俺は何もいえなかったし、騙されたふりをした。 あの時からバカなことをしているという自覚はあった。わかっていたんだけど俺は恐かった。 こんな体で顔で心で俺のことを誰も知らない檻みたいな場所に放り込まれるのが恐かったし、寂しかった。 あの時の俺はまだ炎に燃やされる悪夢に犯されていてきっと冷静じゃなかったんだ。まともじゃなかった。
でもそれ以上に雪男と離されたくなかった。
だからわかっていてサインした。あの時、目はよく見えなかったけど触った紙から流れる契約の意図を含んだ感触と血の臭いに、悪魔である俺が気付かないはずがない。 だからわかっていてサインした。雪男の使い魔になった。それで雪男と離されずにすむなら。独りにならずにすむなら。雪男もそれを望んでいるなら。
でもそれが正しかったのか、俺はもうわからない。







雪男の目の前で入院していた間にサインをした契約書をつきつけた。ようやく通院だけでいいという許可が下りて、雪男が俺のために新しく借りた小さいけれど病院も近い、 キレイなアパートで。雪男の机の中に厳重に封印されていたそれを青い炎を少し使って無理矢理取り出したそれを雪男の目の前に掲げてみせた。
雪男は疲れた顔をしたまま黙って項垂れた。
どうせ引越しの片付け中に封印の施された引き出しを不信に思った俺に見付かってしまったんだと思っているんだろう。
俺は目の前でその契約書を引き裂いて青い炎で燃やした。火傷を重ねている手に、再び火傷をした。
でも契約書は次の瞬間にはまるで手品みたいに元通りになっていた。俺はそこでようやくこれが「普通」の契約書じゃないんだと確信した。 書いてある文字から普通のものじゃなかったんだ、と取り出してから初めて知った。
「無駄だよ」
俯いたまま雪男は呟く。そうして顔を上げて俺の手を取って「炎は使わないで」と火傷を重ねた俺の手をさすってきた。 どうやら俺の心の問題とかいうもので青い炎を出すとそれは俺の体を燃やすのだとわかったのは、ようやく動けるようになった俺の炎の状態を確認するため呼び出されたオペラ座の法廷で 炎を見せてみた時だった。熱くて苦しくてもう一度死ぬのかと大理石の上でのた打ち回って、情けない悲鳴を上げてしまったと思う。そして気がついたらまた病院ベッドの上で俺なんかよりずっと苦しそうな 顔をした雪男はずっと俺の手を握っていた。あれから雪男は使い魔の契約をしたくせに俺が炎を使うことを酷く恐れている。まだ雪男が俺の炎を認めてくれてなかった最初の頃に戻ってしまったみたいだった。
俺はどうせ上手く話せない諦めから何も言わずに悪魔の契約書をテーブルに置いたまま、夕食の準備に取り掛かるため雪男の手を振り払った。
「兄さん、ごめん」
振り払われた手を行き場なく漂わせて雪男は俺の背中に謝罪する。
爪がないというのは案外不便だ。火傷だらけの手で食材に触るわけにもいかないから薄いゴム製の手袋をはめて爪がなくて物を掴む感触が伝わりにくい指先も補う。 退院できたのはつい三日前だったけど入院中も忘れたくなくて病院なのに何故かキッチンの完備もされていた部屋で勝手に料理をしていたから、 手は忘れていることなく動いてくれる。掃除だってできる。まともな日常生活をようやく送れるようになった。だから雪男とこの小さなアパートで過ごすことを決めた。 入院中から気付いていたけど、俺なんかより雪男の方がよっぽど倒れそうなほど頑張っていたことに気付いていたから。
「ごめん」
トントントン。軽快な音を立ててにんじんを切る。今日はカレーにしよう。そうしよう。雪男の分とは別に俺の分は水で炊いただけの味もクソもないお粥だけ用意する。 医者にきつくそう言われていた。入院中も味もなにもないペースト状のものばっかり。病院の部屋で作った料理は全部医者か看護師か雪男やみんなにあげていたから、俺はもうまともな食事を長い間取れていない。 それでもみんなうまそうに食ってくれるからそれでいいと思っていた。
わざと少し時間をかけてうまいカレーを作ってやる。
皿に盛り付けて未だテーブルの上にある契約書を睨んでいる雪男の前に差し出してやれば、雪男はようやく「ありがとう」と言って契約書から目を離した。
「…騙して、ごめん」
ああそうだな半分騙されてた。
と言いたかったけれど上手く言葉にできそうになかったので黙ったままスプーンまで雪男に差し出して俺は俺で真っ白いお粥を皿に盛る。
「でも、こうするしか、なくて」
手を合わせて「いただきます」と言ったつもりだったけどまともに喉から発せられたのは「い」という言葉のみ。俺を見て雪男も「いただきます」と消え入りそうな声で手を合わせてスプーンでカレーをすくった。 野菜と肉のごろごろ入ったそれが雪男に口に運ばれて食べられる。俺は気付かれない程度にその動きを目で追っていて、いいなあ…、と少し思った。 でも雪男が「おいしい」とやっと笑ってくれたので、それ以上にうれしいという気持ちになれる。誰かがおいしそうに食べている顔を見るのは好きだ。それが雪男で俺の料理をそういってくれるなら、なおさら。
「…ほんとに、ごめん…」
食べさせてやらないと雪男はすぐに痩せてしまうようになった。それだけこの四年間の雪男の生活はまともじゃない。とうとう雪男のことを心配して俺に雪男の激務ぶりを話してきたシュラから全部聞いている。 このままだとあいつ死ぬぞ。と言ったシュラの言葉は冗談なんかじゃなかったと思う。
それが俺のせいだということも、わかっている。
「ごめんね、兄さん」
せっかくのカレーが不味くなるぞ、と思いつつだから辛口にしてみた。
「…これからはヴァチカンから要請が来たり、上級悪魔が来たりしたら兄さんを使う…でも決して無理はさせない」
雪男のスプーンを持つ手が震えていた。何か溢れてくるものがあるならその辛いカレーのせいにすればいい雪男。
「僕が兄さんを守る。火傷だって治す。兄さんがしたことも世間に認めさせるから」
あの時から。
まるで取り憑かれたみたいに雪男はこう言うようになった。そしてそれを本当に実現させようと死ぬほど努力している。 それが今の雪男の存在理由みたいに。それに縋っている。
それが俺のせいだということも、わかっている。
それでも。俺は。
「ごめん…兄さん…」
震える声に気付いて水を差し出してやる。雪男はカレー以外のものを飲み込むみたいに水を飲んだ。その時丁度外へ出ていたクロが戻ってきて俺の足にすりより「たいいん、おめでとうりん」と嬉しそうに鳴いた。 クロのために少し味を薄くしたカレーを盛り付けてやる。それを夢中でうまそうに食うクロの背中を少し撫でる。

「ごめんね」

違うんだ雪男。謝るのは俺の方だ。
わかっていてサインした。「普通」のじゃない契約破棄もできないものだって気付いたのは今だけど、でもあの時、雪男と離されないで済むならって自分のことばっかり考えて、 サインしたのは俺なんだ。でも必死すぎるおまえを見て、俺はもうあの時のことが正しかったのかわからなくなった。いや、正しくなんかなかったんだ。 あの瞬間からわかっていたはずなのに。わからないふりをしていた。独りになりたくなくて。雪男と離れたくなくて。縛り付けたのは俺の方だ。
ごめんな、雪男。

でも俺自身は謝罪の言葉を言うこともできずに味のないお粥をかきこむ。新しいアパートに引っ越したばかりなのにすでに途方に暮れていたけど、 俺にできることは精一杯やろうと決意した。雪男がそれを望むなら。俺が本当は望んでいなくても。おまえのためになるのなら。
俺は雪男の使い魔になっていこう。



そう決意したはずなのに、それから少しずつ少しずつ色んなことがおかしくなっていった。
少しずつ少しずつ、俺と雪男は見えないところで膿みのような傷を作り続けていった。















味気のない野菜を混ぜてペースト状にしたものを喉に流し込む。
こう味が薄くてはうまいもなにもないのだけれど、慣れてしまった。まともに飯を食えていた時の味なんてもう忘れてしまいそうだった。 包帯を外せないこの姿も。鏡を見ることに抵抗はなくなった。でも外へ出るのはまだ少し恐い。引っ越してすでに半年経過したけど、 その間にわざわざ俺を訪ねに京都から勝呂や志摩や子猫丸や、店番を抜け出して出雲を連れてくるしえみ達がなるべく外へ連れ出そうとしてくれていたけど、 俺を見る他人の目が俺は少し恐かった。見た目が酷いことになってしまう人なんてこの世界に多いことぐらいは知っているけど、 俺の火傷は普通のものじゃないから。包帯越しでもこの火傷の異様さが一般人にも本能的にわかるらしい。どっかの店に入れば他人は俺を避けるように店を出て行く。 迷惑だから店から出て行ってくれ、と言われたこともある。その店主と勝呂が危うくケンカをするところだったこともあった。 それに耐えられなくなって結局はアパートに戻るしかなくて、誘ってくれるみんなにも申し訳なかった。みんな気にするなって言っていたけど、俺は外へ出ることは極力控えるようになった。 だから電話が多くなった。みんな仕事で忙しいのに俺が電話をすれば必ず付き合ってくれる。未だ上手く言葉が話せないので俺のたどたどしい話なんて聞いていてもつまらないだろうに。 それでもみんな俺の話を聞いてくれるんだ。俺の寂しさに比例するみたいに、俺の電話の回数も時間も増えていった。
いつの間にか、独りで飯を食うのが当たり前のようになっていった。
今夜も雪男は遅いらしい。
時間はもう夜11時を回っている。テーブルの上にあるラップをかけたコロッケはすでに冷めてしまっていた。 クロもまだ戻ってきていない。俺のせいで、学園都市の周りに悪魔が現れるようになってからクロは再び門番の役目を果たすようになった。雪男がクロにそう頼んだんだ。 クロも戸惑っていたけど「りんのためになるなら」と外へ出て行くようになった。数日戻らないこともざらだ。それは雪男も同じだった。
いつからだろう。
飯をかきこんで考える。いつから独りで飯食うようになったんだろう。と思い巡らせてああやっぱりあの頃からか、と自分の失敗を笑いたくなった。
引っ越してきて三ヶ月後に俺はちょっとした出来心で医者の言いつけを破って作ったカレーを食ってしまったことがあった。喉が焼けそうなぐらい痛くなって荒れた胃がそれを受けつけるはずもなく。 俺は盛大に吐いた。
それはまだ修道院でジジィも生きてて自分が悪魔と知らなくてケンカに明け暮れていた頃、腹やらをしこたま蹴られてそれでも相手をぶっ飛ばしてけっこうな傷を残しながら修道院に戻ったときと同じだった。 ケンカの後で腹が減っていたので置いてあった誰かが作ったんだろうカレーを食ったら喉と胃がとんでもなく痛くなって吐いてしまったことがある。あの時はまだ起きていたジジィに怒られた。「内臓が傷ついているときに刺激物なんて食うんじゃねえ!」 と怒鳴られてからとりあえず傷を手当をされていた頃。
あの時と同じことを俺はしてしまっていた。ごめんジジィあの時あんだけ注意してくれてたのに、と思いながら胃液まで吐いてしまった。 未だ俺の内臓が炎の火傷を残したまま回復しきっていないんだと、突きつけられて余計に吐きたくなった。
そんな時、丁度帰ってきた雪男は当然俺より取り乱して青い顔をして「兄さん!」と咽こむ俺を抱き起こした。俺がカレーを食ってしまったんだと気付いて 「どうしてこんなことしたの!?」と泣きそうな顔だった。ただカレーが食べたかっただけだった。引越したときから食ってみたくて、と咽ながらそう告げると雪男はショックを受けたように呆然としていた。 俺はその瞬間自分の失態に気付いたけど、手遅れだった。
雪男が俺の前で普通のものを普通に食べることに罪悪感を抱くようになったのはそれからだ。
そして俺の目の前で食べるのを避けるようになった。もともと帰りが遅いっていうのもあったけど、飯は俺が寝てしまった後に食うようになった。そんなことはやめてくれ、と言っても「僕が許せないんだ」と聞き入れてくれなかった。 だから必然的に飯を食う時間が重なることはなくなった。
飯をかきこんで考える。だから今こうして俺は独りで飯を食っている。
白い電灯がラップにかけられたコロッケを照らして、寂しいテーブルの上を照らしている。
ふと、思った。



どうして、俺、今、独りなんだろう。



「ただいま…」
疲れのにじみ出た声が玄関の扉を開けられる音と一緒に聞こえてきた。俺は席を立って雪男を出迎える。この5年でなんとか医者になって祓魔師も続けながら正十字病院で働いている雪男は、やっぱり自慢の弟だ、と思いはするけど。 それもぐったりと玄関で寝そうになる姿を見ればどう思ったらいいのかわからなくなる。
「お、か、え…り」
数秒かかってようやくそれだけいう。その間に倒れこみそうな図体のでかい弟を支えてとりあえずコートを脱がせる。自分でできるよ、と雪男はふらふらになりながらそのままソファに倒れこんだ。
「…め、し」
「…ごめん、明日、食べる…」
そういわれることがわかっていながら俺は、うん、と頷いてコロッケは結局冷蔵庫に仕舞った。
今日の会話はこれで終わりか…そう思いながらリビングに戻れば、 その間にもう雪男は眠ってしまっていた。メガネを外すのも忘れていたようで、起こさないようにそっとメガネを外す。メガネをしていない雪男の目元にはもうメフィストにも負けないんじゃないかってぐらいのクマがあった。 三日もアパートに帰らないで祓魔師と医者の仕事をしていればこうなるだろう。寝ていないに違いない。俺がそれを何度心配しても「僕のことなんかより兄さんは自分の体のことを気遣って」と笑うばかりだ。
「ゆ…き」
少し痩せてしまった頬を撫でる。ん、と雪男は眉を寄せて息を吐いた。
雪男がどんな激務をこなしているのかこれだけ見ればわかるけど、でも仕事でどんな姿で何を思って周りからどう思われてやっているのか、俺にはあまり話してくれない。 話しても楽しいことじゃないから、と言うのだ。それは俺に聞かせても楽しいことじゃないというよりは雪男自身が楽しいなんて思ったことがないって意味だってことぐらい、俺にだってわかる。
雪男はきっとこの世界を憎んでいる。
だから、最近、笑わなくなった。
「…兄さん」
しばらくじっと雪男の寝顔を見ていれば、雪男は苦しそうに俺を呼んだ。ああ今夜もか、と思いながら雪男の俺を探して彷徨う手を握ってやる。
「兄さん…」
寝言なのに叫ぶように俺を呼んだ。

「離して、離して、くれ…兄さん…」

「兄さんが、死んでしまう」

「兄さんが、兄さんが…消えろ消えろ消えろ、消えてくれ…」

「ゆき」
強く雪男の手を握る。
大丈夫だ兄ちゃんここにいるからもう青い炎は燃えてないから。今ここで生きてるから。そう伝えたくて上手く言葉のでない喉で必死に雪男を呼んだ。
引っ越してきてすぐにわかったけど、雪男は未だあの日の悪夢を見続けている。
不思議なことに雪男が悪夢にうなされる姿を見てから俺はあの悪夢は見なくなった。俺が悪夢を忘れて薄らいでいく恐怖がまるで雪男に移ったみたいに。雪男は時々こうしてうなされるようになった。 いや、もしかしたら俺が入院している間もずっとこんな夢を見続けていたんじゃないだろうか。

雪男の夢の中で俺は未だに青い炎に燃やされ続けている。

「ゆきお…!」

もういいんだ、もう充分だ。

「…兄さん?」
雪男はうっすらと目を開けてでもまだ夢の中なんだろう。俺の包帯の巻かれ顔なんて見えない顔を見て、本当にほっと息を吐いたあと泣きそうな顔をして俺の顔を撫でる。 火傷をしてぼこぼこに晴れ上がって膿みの消えない顔。じゅくじゅくと未だ膿みの生まれ続ける顔。そんな顔を愛しそうに撫でる雪男が。
「…ゆき…」
「兄さん…だいじょうぶ…僕が治すから…」

また普通に外に出られるようになる。美味しいものも食べられるようになるし、誰も兄さんを避けなくなる。そんな風にしてみせる。

雪男は半分夢を見ながらそんな風に言った。本当に、半分、夢を見ながら。

「兄さんをまもるよ…悪魔にもヴァチカンにも渡さないから…ねえ、兄さん、だから、側に、いて…」

僕を独りにしないで。

最後にそう言って雪男はようやく静かに眠り始めた。

強く握られた手を離さないままソファに昨日からかけてあった毛布を引っ張って雪男にかける。雪男は最近ますます増えた眉間の皺はこの時だけは解いて、 子どもの頃のような寝顔を見せる。しばらくその寝顔を見ながら俺は手を離した。雪男は気付かず眠っている。 部屋の電気を消してキッチンの電灯だけつける。薄暗い中、俺の分だけの食器を洗った。

ふと、思った。

どうして、俺、今、独りなんだろう。

雪男はソファで寝ている。すぐ側にいる。でも契約を結んでしまったあの日から、雪男が遠かった。側にいるはずなのに、雪男も側にいて欲しいっていうのに。 俺は今、独りだと、そう感じる。独りで飯を食う。外へ出る勇気も持てなくて独りでぼうっとアパートで過ごす。雪男のためにと選んだことだったのに、 雪男は悪夢にうなされ続けている。そして今やっていることが自分の存在理由だといわんばかりに、必死になっている。
もういいんだ、雪男。もう充分なんだ。
そう言えたらいいのに。でも必死な雪男を見ていると俺はいつも言えなくなってしまう。そうして俺と雪男が諦めたとき、本当に離れ離れにされてしまうかもしれないのが、恐ろしくて。寂しくて。

でも、俺は、今、独りだと、そう感じる。
わかっていてサインした。あの時、目はよく見えなかったけど触った紙から流れる契約の意図を含んだ感触と血の臭いに、 悪魔である俺が気付かないはずがない。だからわかっていてサインした。雪男の使い魔になった。それで雪男と離されずにすむなら。 独りにならずにすむなら。雪男もそれを望んでいるなら。
でも、俺は-----------------

もそりとベッドに入り込む。アパートでは寮に住んでいた頃と違って二人分の部屋があるけど、最初の頃はいつも同じベッドで寝ていた。雪男が俺を心配してくれて。 そんな気遣いがうれしかったなんて、俺も最低だと思う。
でも俺は、本当は何を望んでいるのかと、問われれば。







なあ、雪男、本当は俺。
なんにもいらない。
本に名前とかのらなくても、いい。みんなから感謝されなくても、いい。雪男にはまた心から笑って欲しいし、 もうヴァチカンも悪魔もかかわってこないようなしずかなところで、いっしょにいたい。
いっしょにいたいだけなんだ。
それなのに、どうしてこうなってしまったんだろう。どうしてこんなことになっているんだろう。

もういいんだ、雪男。もう充分なんだ。本当はなんにもいらないんだ。
そう言えたらいいのに。 でも必死な雪男を見ていると俺はいつも言えなくなってしまう。 そうして俺と雪男が諦めたとき、本当に離れ離れにされてしまうかもしれないのが、恐ろしくて。寂しくて。どうしても、勇気が出なかった。







その日の夜、夢を見た。
あの日の悪夢なんかじゃない。あの夢はいつの間にか見なくなった。代わりに見るようになったのが、どこか田んぼと畑の広がってキレイな花の咲く田舎の、俺達の育った修道院によく似た建物と小さな教会のある場所で。
俺は雪男とクロと暮らしている。
小さな木の家具の多い家の中。壁につけられていた鏡を見れば、俺は以前のようなまともな顔をしていた。 久しぶりじゃん俺、と思った何故か。鏡に映ったまともな顔をした俺はまともに笑っていた。
雪男は医者をしていて時々訪れる患者を診ながら、俺は小さな家で飯を作っている。クロが足元で飯をねだっている。 俺の分も普通の飯で、仕事の終わった雪男とそれを食う。おいしいね、と雪男は心から笑ってうまそうに食ってくれていた。 どこか田んぼと畑の広がってキレイな花の咲く田舎の、俺達の育った修道院によく似た建物と小さな教会のある場所で。
俺は雪男と暮らしている。
静かな場所で。誰にも邪魔されることなく。



ずっといっしょに。