祓魔塾、講師用の教室の扉を開けた時、目の前で兄の燐が師匠である霧隠シュラのほっぺにちゅーをしていた。
「何をやっているんだああああ今度こそ逆セクハラで訴えるぞこのアマああああ!」
イスに座っていたシュラのむっちりした太腿に座るようにまたがって、ちょっとだけ首を伸ばして頬に唇を押し付けていた燐を引っ張りはがして自分の腕の中という安全な場所に避難させた雪男は青筋を立てながら、さすがに面食らった様子であったシュラに言い放ったが。
「おいおい、今のはどう見たって燐からだぞ。まるであたしが燐に手え出したみたいに言うのやめてくんにゃい?」
「一年三百六十五日露出狂みたいな格好している挙句、平気で体を押し付けてくるあなたの何を信用しろと!?」
「…なんで正しく痴女みたいな言い方までされなきゃいけないんだよ」
と若干げんなりしてきた気分を再び向上させるために机に上に放りっぱなしになっていた缶チューハイに口をつける。つけながら、燐の唇を必死にハンカチで拭う雪男を生暖かい目で見守っていれば心なしか酒も生暖かくなってくるような気がするから残念だ。
「兄さん、大丈夫!?この女に他に何もされてない?帰ったらきちんと唇消毒しようね!」
「…んー」
ごしごし拭かれて少し赤くなった唇と必死の雪男に構うことなく、燐の青い目はどこか虚ろであっておまけにうるうると潤み、ちょっぴり舌を出して短く息を荒げて、しかもなんだか頬が赤い。なにこの色っぽい兄さんは食べてしまいたい、と瞬間魅入った雪男であったが、吐かれる短い吐息が…なんというか、酒臭い。
…その臭いと先ほどのほっぺにちゅーを思い出し、は!と雪男はここでようやく燐が酒を摂取していたことに気付き、そして未だに燐が手の中に缶チューハイを持っていることにも気付いた。ついでにシュラが口をつけているチューハイと同じ種類である。
「シュラさん!あなた兄さんにお酒飲ませたんですか!?」
「未成年なんかに酒飲ますかよ。エアコンを求めて勝手に職員室に入って来てあたしが目を離してた隙に、喉渇いたーつって勝手にあたしのチューハイを飲んだだけだって」
「そもそも職員室にお酒を持ちこむほうが問題でしょう!何杯飲んじゃったんですか?」
「んー…三本ぐらいじゃにゃい?で、急に目が虚ろになったかと思えば、」
『シュラーちゅーしよー』
「つってあたしのほっぺに勝手にちゅーをしてきたんだけど…それ何なの?おまえの兄は今どうなってんの?」
あー、っと雪男は片手で顔を覆った。腕の中の燐はふにゃーっと意味不明な唸り声みたいなのを上げて、へろへろと足元も覚束ない。それだけならまだいいの。いいのだが。それだけじゃないのだから問題なのだ。
「…兄さんは酔うとキス魔になるんです」
職員室にシュラの笑い声が盛大に響いた、放課後であった。
事の発端は実にくだらないのだが、神父のくせに酒大好きな養父のせいである。弟子のシュラの酒癖が最悪なものにも関わらず、その師匠である獅郎の酒癖はそんなに悪いわけじゃなかった。飲んでいても理性は残っていた。ただ気になることといえば、やたら双子に絡んで甘やかしてくるという変な酒癖があったわけで。その中で何故か双子のほっぺにちゅーをしてくるという気持ちが悪いものがあっただけで。その酒癖も双子が小学生ぐらいまでしか表れなかったものなのだが、立派なところ含め変なところでも獅郎に似てしまった燐はしっかりその酒癖を刷り込まされてしまっていたと雪男が気付いたのは、中学一年の時である。忘れもしない。おそらくジュースと間違えたのだろう、燐が勝手に獅郎のチューハイを三缶ほど飲み漁っていて丁度学校から帰ってきた雪男がその光景に驚き、すでにべろんべろんだった兄を介抱しようとベッドまで運んだのが全ての始まりであった。
『ゆきー…ちゅーしよー』
と、顔をとろんと溶かした燐に言われた。
忘れもしない。忘れられるわけないじゃないか。ベッドに寝かした兄の(若干首を痛めたほどの)馬鹿力で顔を引き寄せられ、
ぶちゅ!
と唇にやられてしまった時のことを。
奥村雪男、ファーストキスを兄の燐に奪われた中学一年夏の終わりのこと。
でも別に雪男にとってそんなことは問題じゃなかった。むしろ神父さん兄さんにこのような素晴らしい酒癖を植え付けてくれてありがとうグッジョブ!と今でも獅郎がいるであろう天に向かって親指を立てたいぐらいである。たぶん獅郎が生きていたら己の失態に泣くであろう。
雪男は兄の燐が好きである。もう大好きである。着替えの時とかこっそりその細い背中や腰を盗み見たり、涎を垂らした客観的見ればぶっさいくな寝顔をかわいいかわいいと連夜高画質カメラで納めてパソコンの中に保存してあるだなんて雪男だけの秘密だし、燐がゴリゴリくんを食べる姿と舌遣いにあらぬ妄想を致したり、そのゴミ箱に捨てられたアイス棒を、何月何日何本食べた、と細かい記録付でわざわざ取ってあったりもして。その他色々。
そんな「なにそれキモイ」としか言いようのないぐらい雪男は燐が好きである。
だからチューハイを三缶過ぎたらキス魔になるという燐の酒癖は雪男にとってすばらしいものであった。今まで何度、兄にジュースだと騙して酒を飲ませたい衝動にかられたことか。なけなしの理性とある副作用によって今まで思いとどまってきたわけだが。
この酒癖、ちょっとした副作用がある。
それは獅郎のとは違って燐にはあまり理性が残っていなくて…要は節操なしに成り下がるわけだ。だれかれ構わずとにかくちゅーをかます。チューハイ三缶過ぎたらあら不思議。燐はまさに人のキッスを貪るこの世で一番性質の悪いがこの世で一番かわいらしい小悪魔ちゃんに変貌するわけである。悪魔だけに。
「兄さん、ちょっとしっかりしてよ!」
「うにゃー…」
最早、燐はべろんべろんである。足元はふらふらしているし、雪男が燐の腕を首に回して支えているにも関わらず、あっちこっちに体がふらつくし頭は左右に揺れるし。熱いのかいつの間にかネクタイをゆるゆるにしてシャツのボタンも第三まで外していて、瑞々しい鎖骨が丸見えだったりする。
「なあーゆきおーちゅーしよー」
加えてその可愛らしい唇を尖らせて、弟の唇を奪おうとするのである。酒臭いけど。
もしここが学園のどこかにある祓魔塾用の特別校舎で行きかう職員や塾生のいるような廊下なければ、ぜひいただきたいところだ。据え膳食わぬは男の恥とはまさにこのこと。ここが寮であったらとっくに応えていてあげているのに。何故今日に限って寮への鍵を忘れたんだ、と雪男は涙を飲んで燐からのキス攻撃をかわしていた。
「なーなーゆーきぃー」
「はいはい、兄さん。ここではダメだよ。その代わり寮に帰ったら…たくさんしてあげるから」
自分で言っていてちょっと赤面した。
「ゆきのいじわるううう…!」
くっそなんだよ兄さんのくせに、いや兄さんだからこそこんなに可愛いんだけど!唇とがらして拗ねてるんじゃねえよ、可愛いいだろうがよ!ここが廊下でも構わず押し倒したいじゃないか!という心の叫びはぐっと呑み込む。
「あれー奥村先生と奥村くんやないですか?」
そうして己の欲望と戦いながら兄の燐を支えてふらふら廊下を歩いていた雪男は、さっそく京都の三人組に目撃されてしまいこっそり舌打ちをした。できることなら酔っ払った兄は雪男だけの秘密にしておきたかったのだが、致し方ない。
「どうないしはったんですか?もう塾始まる時間ですけど…って奥村、おまえどないしたん?」
「なんや顔赤いですね…風邪ですか?」
「い、いやそれがちょっと…」
なんと言い訳したらいいか、と考えあぐねいている内に、なんや酒臭いですねと志摩が先に気付いてしまった。
「はあ?もしかして酒飲んでるんか、おまえなにやっとるんや!」
「いや、これはちょっとした事故でして…チューハイをジュースと間違えて飲んでしまったんですよ。というわけで今日の塾は奥村くんだけ欠席します」
ふにゃあ、と蕩けた顔をして明らかにただの酔っ払いである燐の顔。それを見て頭痛がしたのか勝呂は米神を押さえ、子猫丸は苦笑していた。志摩にいたっては面白そうにニヤニヤしている。
「あはは、そういえば京都でも似たようなことありましたねー奥村くん絡み酒やからあの時は大変やった、」
と、志摩が燐の顔を覗きこむように近づいてしまった瞬間であった。
「しまあー」
ちゅっ!
あ、っと思った時には遅かった。
支えていた雪男の腕を振りほどいて志摩に抱きつき、素早くほっぺにちゅーである。
びしり!と岩の割れたような幻聴が聞こえたかもしれないぐらい、ほっぺを奪われた志摩と勝呂と子猫丸が凍りついた。
「えへへーしまのほっぺやあらかい」
あろうことか燐は、満足そうに息を吐きながら蕩けた笑みを浮かべるではないか。三人組みには何がなんだかわからない。え、なに酒臭いしいつもと様子が違うっていうか何でほっぺにちゅーなわけしかも男に。と勝呂と子猫丸が考え出した瞬間、その正しく小悪魔な燐の腕を引っ張り猛然と廊下を駆け抜ける雪男の後姿を、呆然と見守るしかできなかった京都三人組であった。
「…奥村くん…唇やわらかやった…」
「うおおおおい志摩おまえ何いうてんねん!しっかりせえ!」
「いや、だって…あんなかわいらしい顔で…あかん俺どないしたんやろう!俺は、女の子が好きなはずやったのに!心臓どきどきして止まらんっ…!俺は、俺は、どないしたらっ!」
「あきません志摩さん!あきません!その先の扉は開かんといてくださいいいい!」
こうして開いちゃいけない何かが一匹の酔っ払い悪魔によって開かれかけた、志摩廉造、夏の終わりのこと。
「はあ、はあ、なんかすごい疲れた…」
「えへへ、ゆきおのおんぶー」
よろよろの酔っ払いをすれ違う職員達と絡ませないために、仕方なくおんぶして寮まで疾走すればそりゃ雪男も疲れるというものである。しかも志摩にまでちゅーをかましてしまってこの小悪魔ビッチな兄さんめでもやっぱ好きだから許す今は仕方がないし、とぶつぶつ呟いて己を落ち着かせ、後日志摩のちょびっと開かれたかもしれない扉はきちんと閉めて鎖で鍵をかけておこうどんな手を使ってでも、ついでに京都でも酒を飲んだことがあったらしい兄と何が起きたか詳しく聞かなくては…事によっては銃の手入れをする必要も…と固く決意する雪男であった。
そんな黒いオーラを放つ雪男に対して、おんぶしてもらっている燐は上機嫌である。キス魔になるに加えちょっと幼児返りまで起こすから本当にやっかいだ。
「ゆきおぉ、おみずのみたい…」
「はいはい、もーわかったよ!ちょっと大人しくしてて!」
水が飲みたい飲みたいとうるさいので、とりあえず部屋に行く前に腕を引っ張って食堂へ向かいイスに座らせる。途端、ふにゃあとテーブルに突っ伏して、つくえつめたくてきもちいー、とすりすり頬ずりする姿なんて…なんて可愛いんだ兄よ。そしてここはもう旧男子寮という雪男(と燐)の領域である。邪魔者はいないも同然なので、雪男は己の欲望のままにテーブルにすりすりして頬の形がおかしなことになってる兄でさえ写真に収めたい、という衝動に素直に従うことにした。とりあえず水の入ったコップを置いてあげて、大人しくしててね、と頭を撫でていそいそと六〇二号室雪男の机の中に常備させているカメラを取りに走った雪男であった。
しかし、雪男が食堂のテーブルに突っ伏している兄を写真に収めるため、その場をいなくなったほんの数秒後、またもや燐のキス攻撃による被害者が出るわけである。
それは、テーブルに頬ずりする燐の目の前に現れたピンクのテリア。
「おや、奥村くん、今は塾の時間じゃないですか?」
「おー、めふぃすと…」
何を隠そう二人の後見人であり学園の理事長でもあるメフィスト・フェレスがお気に入りのピンクのテリア姿になって、ひょこ、っとテーブルから顔を覗かせたのである。
「なにやら他の講師から奥村兄弟の姿が見えないと聞いて、一応、後見人として、この私が、直々に様子を見に来てみれば…」
行儀は悪いのは百も承知だが構わず、前足をテーブルにかけ、よいしょ、とおっさんくさい掛け声と共にその小さな身をテーブルに乗り上げる。未だ、潤んだ目でテーブルに頬をつけてメフィストをじいっと見ている燐に近づいて、ふんふん、と臭いを嗅いでみれば案の定であった。
「ちょっと…あなたお酒飲んでますね…未成年なのになにやってるんですか」
わふん、と犬の鳴き声に近いため息を漏らせば、燐はじいっとメフィストを見つめたまま素早く、がし!とそのもふもふの体を両手でつかみかかる。
「へへへ、めふぃすと、もふもふー」
すりすり、と今度はピンクの毛皮に頬ずりをする燐は傍目から見ても大変可愛らしいが、如何せんその抱きしめている犬の正体はおっさんである。変換してしまえばちょっぴり残念な光景だ。ふんふん、と耳の裏のやわらかい毛に鼻を埋められてから急なことに思考停止していたメフィストは我に返りその腕から逃れようとじたばた前足を動かすも、これが燐もなかなかの怪力なのである。じたばた、わふんわふん、と抵抗する犬の脇を抱き上げたまま燐はじいっとその眠そうな目を覗き込み、
「え、ちょ、おくむらく…!」
ちゅっ!
と犬独特の濡れた鼻の上にちゅーをした。
「ああああああああああ!」
丁度その時、カメラ片手に戻ってきた雪男が、犬の姿とはいえ後見人のおっさんの鼻の上にちゅーしている兄の姿をいきなり目撃してしまいカメラを落としてしまったのも無理はなく。
ぼふん、と慌てて人間の姿に戻ったメフィストが、
「末の弟に鼻ちゅーを奪われたっ…!」
と何故か乙女座りで嘆き伏せ当の根源は「いぬのはなってぬるぬるしてるー」と唇を拭いている、というよくわからない光景を落とされた衝撃でシャッターが切れたカメラはばっちり収めていたわけである。余談だが。
「クローちゅーしよー!」
「にゃー!」
部屋に戻れば戻ったでベッドで寝ていたクロを抱き上げて、その狭い猫の額にちゅーである。クロがなんと答えたのか雪男にはわからないが、どんぐり型の目を見開いてにゃーと鳴きながら肉球で燐の顔を押し返すのでちゅーが嫌だった、というかおそらく酒臭さが嫌だったのかもしれない。
若干クロに妬けるが、これはこれは大変可愛らしい光景なので、しっかりカメラに収めておく。先ほどの犬と兄の鼻ちゅーも普通に見れば微笑ましいのかもしれないが、相手の正体がおっさんなのだからいただけない。ちなみに未だ食堂で「鼻ちゅーはハニハニシスターズのフィギュアにしか許してないのに!」とよくわからない嘆きを続けているおっさん悪魔はもう放っておいた。後で落とした衝撃で撮れてしまっただろうその光景は削除予定である。
「クロー、もっかいちゅー!」
「にゃにゃあーん!」
「ぎゃははは、ヒゲがくすぐってえええ!」
さて、大変愛らしい光景だがそろそろ翻弄されているクロがかわいそうなので、助けてあげることにする。ひょい、と雪男が燐の腕の中からクロを救出すれば、クロは大慌てで窓から逃げ出したのである。それはちゅーされるのが嫌だったというよりはいつもとまるで様子が違う燐に、恐れをなしたのか。それとも惑わされたか。惑わされてもおかしくはない。ああくろー、と泣きそうに顔を歪めながらも未だ蕩けた顔をしている燐なのだから。
「ほら、兄さん、とりあえずベッドで寝て」
ぐずって完全酔っ払いの兄をベッドに寝かす。そして雪男は一応周りを見渡して本当にクロがいないか、メフィストがいないかだけ確認すると一度深呼吸をした。
ベッドには泥みたいに沈み込み酒のせいで熟した果実のような兄。その隣にいるのは弟だけ。よし、と雪男は密かに気合を入れて、ああこんなことなら歯を磨いてモンダミンで念入りに口をすすげばよかった、と思いはするがその間に燐の酔いが覚めてはいかんので堪える。せめてと思い、最近ポケットに入れているフリスク(ペパーミント)を口に入れておく。ふう、よし、一応息が臭くないかだけ確認しておく。別に普段から臭うわけじゃないけど。決して。
「にい、さん」
「んー?」
雪男はベッドの淵に手をかけて、身を乗り出した。燐に覆いかぶさるように。その顔は冷静さを装おうとして何か企んでる悪い笑みが隠しきれてないわけだが、残念ながら唯一そのことを指摘できる燐は雪男の下、そして酔っ払いである。
「思わぬハプニングで三人(と一匹)もの人にキスしちゃったけど…僕の言いつけ守って唇にはしなかったのは偉いよ、褒めてあげる」
「おう、おれ、ゆきおのいいつけどおりにしたぞ!」
褒めて褒めてとばかりに尻尾を振る燐に、ほんのわずかにほくそ笑む雪男。
『いいつけ』
なんとも不穏な単語が二人の間で交されているがまさにその通りである。
兄にファーストキスを奪われたあの日。もちろん雪男以外の唇も奪おうとした酔っ払いの小悪魔を止めるため、
『唇にしていいのは僕だけだから!』
と、獅郎が図らずとも燐に酔っ払ったらちゅーをするという変な酒癖を植えつけたのを咄嗟に習って、その後、ファーストどころかセガンド、サード…カウントするとたぶん十回ぐらいしちゃったんじゃないかと思うぐらい雪男は燐にちゅーをした。がっちり頬を掴んであの酒臭かった唇に。『唇は僕だけ唇は僕だけ唇は僕だけ』と最早呪いに近いものを言い聞かせながらだったので、昔も今も変わらず単純な燐に刷り込まれてしまったのも無理はないのかもしれない。ここは雪男の執念の勝利であった。何せたぶん幼稚園ぐらいから兄の燐が大好きだったのである。否、生まれた時からもう胎児の時から好きだったんじゃないかとさえ最近では妄想しているのだ。たぶんその妄想は間違っていない、と雪男は信じている。だから酔っ払った末の酒癖といえど自分以外にキスなど許せるわけなかろう。本音ほっぺだって嫌だけど、唇にしないだけマシにであったと雪男は思う。中一の時、思わぬ形で成し遂げられた燐とのキッスだが咄嗟の機転を利かせたあの時の自分よ、よくやった。おかげで今日、その成果が発揮されていたわけなのだ。よくやった自分。おかげで今現在兄の燐は「はやくー」と唇を尖らせて、かわいいオネダリをしているわけだ。やばいマジで兄さんかわいい兄さんかわいい鼻血出るっていうかもう吐血もしそう。落ち着け自分。これは中一の時以来のチャンスなのだ。ここら辺で兄、燐とのキス回数記録更新といこうじゃないか。そして中一の時は成し遂げられなかったディープキスという大人の階段を一段登ってみせようじゃないか、と雪男は決意した。
がし!と腕の下にいる燐の肩を掴み期待に目を潤ませている(ただ酔っ払って潤んでいるだけだが雪男にはそう見えている)、かわいいかわいい兄に応えてあげなくては。明日はお赤飯だ。なんとなく。
「兄さん、今夜はね、ね、寝かせないよ」
あああああちょっと、どもった。緊張のあまりどもった。見栄張ってこの台詞を吐いたのバレバレである。しかし腕の中の燐は当然気付かない。
「うん、ゆきおと、ちゅーいっぱい、したい」
にへ、っと子どものように笑いながらも強烈なアッパーのような台詞を返してくる燐に当然、雪男の何かはぶっつんと切れたのだった。
ちゅっ!
今夜この音が鳴り止むことはない。
-----そして朝チュンへ。
「…俺いつの間に寝たんだよ…記憶にねえんだけど…っていうかなんか頭ガンガンするし」
「いつもどおりマンガ読みながら寝たせいじゃないの?」
「…そうか…そうなのか?っていうかなんでこんなに唇イテーの?なんでクロは俺を避けてるの?…なんでおまえの唇も真っ赤に腫れてんの?うわ、タラコみてえ俺もだけど」
「虫に刺されたんだよ、たぶん」
「…そうなのか…?…うーんなんかタラコスパゲティ食べたくなってきた」
「やめてよ染みるから。…それより今夜はお赤飯にしてよ」
「なんで?」
「百回記念に」
「え、何、なんの百回記念なの?なんでおまえそんなに清々しい笑顔なの?清々しすぎて逆に気持ちが悪いんだけど」
「僕はすっごく気持ちよかったよ」
「うわああああなんかわかんねえけど鳥肌立ったー鳥肌立ったー!なあ一体なにがあったんだよ!なんの百回なんだよおおおお!」
「そんなことより、兄さん一つ約束して」
「え、なにを?」
「二十歳になったら僕がいない時にお酒は飲まないでね」
「うわあああほんとに何があったんだよおおお何があったんだよおおお!俺の身に何があったんだよおおお恐いよおおおお!」
ちなみに、変なところで意気地のない雪男が百回記念を飾っておきながらもその先にはまったく進めなかったという話は言うまでもない。
だが、近い将来「記念すべき一回目」という別のお題目のお赤飯が炊かれる日がくることであろう。
2012.8.26 2012.8.19インテ無料配布
元ネタはグッドモー●ングコールという少女マンガのキャラ百合お姉さんの酒癖からです(笑)