てのひらに積もる

 

銃を撃つ度に手に響く振動や熱に、初めの頃はそれだけで目に涙を浮かべていた。すぐに手にはマメができてつぶれたりして。 雪男の手この感覚を叩き込むように教え続けた雪男と燐の養父は、雪男の目に浮かんだ涙を拭うようなマネはせず、慰めにしかならない甘ったるい言葉をかけることもなかったけれど、 皮がすりむけて熱を持つ手をいつも温かく大きなあの手で握って薬を塗ってくれたのだ。雪男はそれだけで安心できた。 込み上げる涙はいつも引っ込んだ。この手に積もる悪魔の返り血を浄化できているような気さえしていたのかもしれない。
成長するにつれてそういうこともなくなって。
皮膚がすっかり硬くなってしまった雪男のてのひらに薬を塗るのは、雪男自身になってから。
養父が死んでから。
てのひらには血溜まりが残っていくようで。







ぱんっ。
正確に悪魔の心臓を打ち抜く銀の弾丸に、羽を持った悪魔が墜落し地面で身悶えた。カラスか何かに憑依した悪魔だったのか、があがあ、としゃがれた声を上げて黒い羽を撒き散らす。 顔は何故か醜い女の容姿であった。自分の容姿の醜さを呪う女性の心に突き入るのを性質とする悪魔だったか。とにかく、似たような下級悪魔の残骸など、足元に数多く転がっているので いちいち調べる気力もない。人気のない山の中。時刻はすでに夜中の2時を回っていて、悪魔も活発になる時間帯だった。雪男のいる山の麓には、古い団地がいくつか並んで建っている集落が存在していて、 人も何十人か住んでいる。最近、その団地の部屋の一つで、女性が首をくくって死んだそうだ。自分の容姿の醜さを呪っての自殺だった。 1人暮らしで発見されないまま腐敗したようで、その死体に憑いたグールが徘徊し始め、他の下級悪魔を呼んでいた。閉鎖的な雰囲気の漂うその集落に暗くじめじめした森。弱い悪魔が這い蹲るように湧き出てくるにはそれなりに条件が整っていて、 だからこそ雪男と燐はここへ呼ばれたのである。大量発生した下級悪魔の退治だった。根本の原因となるグールは初めのうちに雪男が撃っていた。 聖水を投げつけ銀の弾丸で祓魔することに戸惑いはなかった。 長く黒い髪を乱れさせていた女性のグールの顔を雪男はしっかり見ていなかったので、本当に醜い容姿であったのかはわからない。見たとしてもあれだけ腐敗していては、 もう元の容姿はわかりはしないかっただろう。
まだ熱を持っている銃を腰には戻さないまま、悪魔の転がる中を進む。悪魔はそのうち、じゅうじゅう、と音を立てて消えていった。
ライトがなければ何も見えないほどの暗闇の中で、しかし雪男は迷うことはない。目指すのは少し離れた場所で青々と燃える光であり炎である。
ざん、と下級悪魔を切り裂いていく刀が見えた。それは青い炎を纏っていて銀と青に輝いている。それを持ち振りかざしている雪男の兄の燐は、軽やかに地を蹴り、宙を舞い、 夜風に攫われる木ノ葉の波のように襲い掛かる悪魔達を跡形もなく燃やしていった。燃えて空中や地面に転がる悪魔が、まるで人魂のようであった。
「終わった?」
「あと、一匹!」
そういい終わるや否や、最後の一匹と思われる悪魔を青い炎が舐めていった。悪魔に憑かれたカラスの羽が燃え、宙を舞い、チリとなって溶けていく。
「うし、おそーじ終わり!」
すっきりとした面持ちで燐は背筋を伸ばす。袖を通して一月ほどしか経っていない祓魔師の身分を示す黒いコートは、まだ真新しかった。
「じゃあ、後は事後処理だけだよ」
「えー…めんどくせえ」
「何言ってるの、後で報告書書かなきゃいけないんだから。悪魔を祓魔した時の状況等はしっかりと把握して、証拠を残して、なおかつこれ以上被害が出ないことを確信して、 そこでようやく任務は終了だよ。いい加減、手際を覚えてよ、もう祓魔師になれて一ヶ月も経つんだから」
燐のと比べて随分使いかんだ感のある雪男のコートは、実は襟や袖の部分がもうゆるくなってきている。そろそろ買い代えなくてはいけないだろう。 何より、このコートも随分、血を吸ってきたはずだ。
「わかってるよ、奥村先生は相変わらず口うるさいですねー」
唇を尖らせながら、一ヶ月前に卒業した教室で使っていた呼び名を久々に口に出した。
「そう思うんなら口うるさくさせないように任務を最後まで全うしてください、奥村君」
兄のどこか悪ふざけた態度にため息を零して、雪男はようやく銃を腰のホルダーに戻した。てのひらはまだ熱を持っている。もう何回も何十回も何百回も感じた熱だ。 ねっとりしていじくじく痛い。血生臭くて、不快である。
「おい、雪男!」
と燐が叫んだと同時に右手を急に掴まれて、雪男はぎょっと腕を引いてしまったが、燐は離さなかった。その両手で握りこんだ雪男の硬い皮膚の右手に、青い目を一身に注いでいる。
「ちょっと、なんだよ兄さん?」
「おまえ、手え怪我したのか!?」
「は?…ああ、違うこれは返り血だ」
祓魔に集中していて拭うのをすっかり忘れていた。てのひらにこびりついてすでに渇き始めている、その血は、確かここへ来て最初についたものだ。 グールを撃ったときのもので憑依された女性の死体が弾けとんだ時についたものだ。その時、燐は雪男を襲う下級悪魔を炎で燃やし刀で切りつけサポートしていたので、 気がつかなかったのだろう。
「ただの返り血だよ」
そうだ。ただの返り血だ。雪男のものではない。
一瞬だけそれを見つめて、適当にコートで拭おうとしたが燐は手を離さなかった。おまえってそういう変なところが雑なんだ、と。 もうコートを捨てればいいだけの話だと雪男は思ったが。
「あー、ハンカチ持ってねえなあ」
そしてこういう時に限って二人ともハンカチとか何か拭える布を忘れている。
「もういいって兄さん、帰って手を洗えばいいだけなんだから」
そうだ。
穢れれば石鹸で洗って、銃を持った手が感じる必要もない罪悪感と熱で火傷をしたのなら、自分で薬を塗ればいい。
それだけの話であった。養父に手を握ってもらうことを、成長するにつれて拒絶するようになってから。思えば養父が死ぬ前から、雪男はあの手を必要とする素振りも気持ちも止めたのである。
「ちょっと待てって」
それなのに燐は、燐の手を振りほどこうとする雪男を制して、刀を納めたままほんの少しの炎をその身に灯す。ぼう、っと。黒いコートから燐の皮膚から勢い欲しかし柔らかく吹き出るそれは、 ちりちり、鼻先で燃えつつもひどく温かい。
「兄さん?」
燐の炎を認めるわけにはいかない、と。心に決めている雪男ではあるが、コントロールも日々正確になってきていることは否定しないし、不浄王の一件からこれは人を燃やすことはないのだとわかってはいる。 それも燐の理性が人間側である内だけの話かもしれないが。
燐の体から吹き出る炎は、雪男の右手を包み込んだ。ぬるく、あたたく、どこか戯れのようにくすぐったい。それは、小さい頃てのひらにある手相というものが不思議で、 小さな手をお互い取り合ってこの「シワ」はなんだろうね、と突きあっていたくすぐったさに似ていた。
目の前で雪男の右手に集まった青い炎は、こびりついた悪魔の血を、舐め取って、じゅう、と蒸発させていった。
一瞬だけ、蒸発した血が赤黒い霧となって宙に舞うが、それも炎によって跡形もなく呑み込まれて行く。
じゅうじゅう、と。
ねっとりしていて、じくじく、とこの手に積もる何かさえ。
「………」
「よし、これでキレーになったぜ」
へへへ、と悪魔の牙を見せて笑う燐に、雪男は未だ温かさの残る右の手首をさすった。離れた燐の手のぬくもりと、炎のくすぐったさが、まだてのひらの上で踊っているようだった。
「な、何もこんなことしなくても」
取り繕うようにメガネのブリッジを上げて目元を隠しても、燐はお構いなしに雪男に背を向けて歩き出す。
「だって、俺が嫌だからな」
燐はコートのポケットに両手を突っ込んで、歩みを止め、真っ黒な空を見上げていた。黒髪の隙間から覗く尖った耳が、寒さのせいか赤かった。

「俺、雪男の手、けっこー好きだからな」

「………」
「だって…あんまし認めたくねえけど、俺より男らしくてキレーな手、してんじゃねえか。そんなので汚れてるなんてもったいねえよ」

吐く息は白く。
鼻先と耳とてのひらが、痛いぐらい冷たかった。無風の夜である。木々の葉一つさえ音を立てず。ひっそりと地面に転がる悪魔の死骸の中で、双子はなんとなく立ち尽くしていた。

ポケットに突っ込まれたままの燐の手なんて、同族殺し、と影で言われていることを未だ燐は知らずにいる。

「…今更だよ」

ぽつり、と呟いた声はひどく小さくて、燐は、何?と振り返ったが、雪男はもう何もいえなかった。
「…お、ほら、雪男見てみろ、雪だ!」
雪男が何を言ったかすぐに興味をなくしたらしい燐は、真っ黒な空からちらちら落ちる白い雪を指差した。雪男も見上げる。 あとからあとから天から落ちてくるそれは、小さな天使の羽のようだった。そのイメージも所詮、どこかの教会で描かれ保存されている芸術家達の作品によるものでしかないけれど。 人は神も天使も、結局はそのようなものを通してしか見ることはできない。
悪魔は見えるのに、どうしてだろうか。
「ほんとだ、通りで冷えるわけだよ」
そんな取りとめもないことを考えながら、ポケットから手を出して天から振る雪を掴もうとしている兄を見つめる。兄の、これからも多くの同族を殺していくのだろう手は、 今は無邪気に雪を掴もうとしていた。雪男もなんとなくてのひらを広げてみる。ふわり、と舞った雪の結晶の塊は、硬い皮膚の銃のタコの弾丸の熱の悪魔の穢れの青い炎の温かささえも経験した、てのひらに、落ちて、すぐに溶けた。
「…行こうか」
未だ空を見上げる燐に呼びかけ、宙に伸ばされていた燐の左手を自分の右手で取った。お?と燐が目を丸くするのに構わず引っ張るようにその手を繋いだまま、雪男は山を降りる。 燐も黙ってついてきた。口を閉ざすなんて珍しいけれど、握り返された手の強さが返事の代わりであるようだった。
握った燐の手は、悪魔の治癒力のせいか、タコも残らず硬くなることもない。ある意味、変わることのない手をしていて、雪男はその感触でなんとなく燐が、雪男の手が好きだ、という理由がわかった気がした。 同時につんと鼻の奥が痛んだが、冷たい空気を吸ったせいだと決め付けた。
炎を出してもいないのに、それでも燐の手は温かだった。



じゅうじゅう、と。
ねっとりしていて、じくじく、とてのひらに積もる何かさえ。
この温かい手は、溶かしていく。雪のように溶かしていく。











2012.12.27
実は一分間に合わなかった…。奥村兄弟ハピバ!