Rouge with Sugar

 

「いらない」



きっぱりした拒絶の言葉と同時に押し返される綺麗な小箱の中身。メフィストは常に眠そうなタレ目をわずかに見開いた。燐がメフィストからの贈り物を拒絶するのはこれが初めてだったのだ。
「…お気に召しませんでしたか?」
雑に開けられた綺麗な小箱の中身。口紅をひょいと摘み上げてメフィストは首をかしげる。 確かに女性に口紅を贈ることは難しい。色の好みも人それぞれだし、実際つけてみなければ発色の具合もわからないけれど。もともと燐は化粧など一切しない女であった。 二十歳の誕生日をつい先日迎えた今もだ。だからむしろきっかけになればいいと思い渡してみたのだが。
「そうじゃない」
「では、何故ですか?…貴女に映える色を特別にオーダーメイドさせたんですけど」
「そういう押し付けがましい言い方すんな」
いつもより辛辣な言葉がやや血色の悪い唇から出てくるが、その割に燐は目を伏せてまだ一口も飲んでいない紅茶のカップを睨んでいた。正確にはそこに映りこんでいる自分の顔だったのだが。 ゆらゆら揺れる琥珀色の表面には青い目で睨んでいる我ながらかわいくない女がいる、と燐は思った。
「俺には必要ないから」
「………」
呆れてため息の一つでも吐かれるとか思ったが、意外にも、メフィストは何も言わなかった。ぼり。とテーブルの上に出されてあった(わざわざ京都から取り寄せたらしい) 見事な花の形を模した砂糖菓子をつまんで噛み砕く音がしたかと思えば、ちゃっかり燐の座っているソファの隣に移動してきた。
「…おい」
「試しにでいいので、ね、一回ぐらいは」
一流ブランド品でけっこうなお値段だったんですよ。
そういわれて一瞬言葉に詰まった燐だったが、
「…じゃあどっか他の女にでもあげればいいじゃねーか」
「おやおや。貴女が隣にいてくれるようになってからは他の女性に贈り物なんてしてませんよ。個人的には」
にんや、と口の端をあげてさりげなく片手を腰に回してきたので、ぱちん、とはたいてやった。痛いですよお、とわざとらしく嘆く様に腹が立つ。
「このホラ吹き」
「…今日は本当にご機嫌がよくないようで」
誰のせいだ。と言いたかったが飲み込んだ。メフィストのせいではない。結局は自分のせいだった。メフィストの手の中にある口紅を見る。かつて自分が買って燃やしたものとは比べ物にならないほど高価なものなんだろうということぐらい、燐にはわかった。 自分はブランドに詳しくないのでどこのかは知らないが、豪華で立派でいかにも気位の高そうなロゴマークが彫ってあった。
「ほら、貴女もめでたく成人の年を迎えたわけですから、そろそろこういうのに興味を持っては?化粧は女性のたしなみでもありますよ」
「そういうのは普通の女のことだけだろ」
メフィストがきょとん、と目を丸くした。そうだ。そういうのは普通の女の子だけでいい。しえみとか出雲とか。かわいくて華奢で花があって、普通の男に愛されることのできる女の子だけのものだ。こんな自分に。 悪魔で青い炎を持って普通に年を取れるのかもわからない。しかも、結局は同属の男を一応選んだような女だ。
「…何かトラウマでもあります?」
探るような口ぶりに、燐は口を閉ざす。違う。そんなことなんかじゃない。「あの時」のことなんてきっと関係なかったのだと思う。むしろあれは自分の底にずっとあった疑いを確信に変えてくれただけだ。 あのまま勘違いした悪魔の女にならずに済んでよかったとさえ思っている。あれから髪も伸ばしてないけれど、任務をこなすときはやはり短いほうがいいし、料理以外に趣味も持たなかったので、 がむしゃらに祓魔師として働くことにだけ没頭できた。 自分にはそれしかこの世界で生きる道はないのだ。まだまだ先も見えないこの道の上でいらないと思ったものは燃やしてきた。それだけのことだ。「あの時」のことは結局上には報告せずにすんだので、メフィストだって知らないはずだし、今更掘り返すことでもなかった。 「あの時」のことは、今では、そんなこともあったなーと笑って話せる。 未だに弟は嫌な顔をするし例の男とは険悪だけど。
「ねえ、燐」
いつからか自分の名前を甘ったるく呼ぶようになった男の声が、今日は本当に嫌に腹が立つ。また一つ砂糖菓子を食べたのか、吐息もやけに甘い。自分は食べてないのに、 胸焼けがしそうだ。
「何か心に引っかかったものというのはですね、本人がそのつもりがなくとも、まだここに引っかかっているものなんですよ」
ここ、と紫の手袋をはめた指が差した箇所は、左の胸だった。そこには本当に心臓があるかもわからないのに。しかも、いやらしく明らかにそういう意味を込めて、大きくもない胸を撫でてきた。 眉を寄せて睨んでやるが手を払うのも馬鹿らしく感じたのだ。けっこう触らせてきてやったんだから今更なんだ、と開き直っただけだったのだが。 燐のその態度にメフィストは毒気を抜かれてしまったようで、降参と訴えるように腕をわずかに上げた。
「やれやれ、少しは恥じらいを持ってください」
「余計なお世話だ。それに、悪魔が人間の心理を語るなよ。おまえにわかんのかよそういうこと」
「おや、これでも私、物質界暮らしは格段に長いですからねー」
でも、ま、未だに理解できないことは多すぎますけど、だからこそ面白い。
メフィストは牙を見せて笑うと、いつの間にか手袋を外していて、口紅のキャップも取っていた。
「おい、だから!」
「物は試し。ね、一回でいいですから」
返答するまえにやや強引に抱き込まれた。懇願するような目に、結局燐は弱かった。この男に対して甘いのではなくて頼まれると断れないたちだからだ。断じてこの男に甘いわけじゃない。 ぶつくさ言い訳する燐に構わず、メフィストは己の欲望のままに燐のやや血色の悪い唇に指を這わせて、きゅ、っと口紅を取り出した。控えめだけれど綺麗に輝く赤色であった。 そんなの自分に似合うのか、と燐が思ったのを読んだかのように、
「貴女の赤い瞳孔に合うかと思いまして」
なるほど。人ならばありえない目の色なら映えるってか。と言えば、そう卑屈にならずに、と苦笑された。ぐっと。メフィストの顔が近づく。思わず引きそうになったが、 片手を後頭部に回されて逃げれなくなった。甘い砂糖菓子の匂いに落ち着かなくなったがメフィストは構っていなかった。 綺麗に輝く赤色が、血色の悪い唇に近づく。目を閉じるのも忘れていた。メフィストの悪魔の爪を持った指に握られて、するり、とひどく滑らかにそれは唇の上をすべる。 ブランド品だから匂いが強いかと思ったが、意外に、香も控えめでしかも燐の好みであった。そんなところまで計算してオーダーメイドさせたのだろうこの男は。細かい注文だったに違いない。 燐は、名も知らない有名ブランドだというロゴを見ながらメフィストの細かい注文を聞く事になったのだろう顔も知らないブランドの偉い人にちょっぴり謝った。
するする。
丁寧に引かれていく、赤。最後にメフィストが直接小指で軽く余計な分を取ってから、終わった。
「…できましたよ。すごく綺麗ですから」
「色が?」
「貴女ですよ。まったく素直じゃない」
くつくつ笑いながら鏡を取り出す。そこに映っていた女は青い目でにらみ返してきて、薄く赤を乗せた唇は他に化粧もしてない顔にも浮かず、燐のまだ幼さを残す顔に馴染んでいた。 人のものではない赤の瞳孔と似ているようで違う赤だが、それが互いを惹きたてているようだった。
「ほら、綺麗でしょう?」
「………」
鏡から目を逸らす。
「…燐?」
「…いらないんだ」
燐の囁くような声にメフィストは黙った。
「俺にはこういうのはきっといらない。普通の女の子の幸せとかさ、綺麗なもんとか、…正直さ、正直にいうと、未練がないわけじゃないかもしれないんだ。それだって燃やしたかったけど。 でも、 そんなのを捨てるだけでみんなを守れるなら、周りに波風立たせずにすむならいくらでも捨てられる。 そうやって20歳まで生きてきたのに、今更、なんだよ、おまえ、ムカつく」
ムカつく。
ぐっと唇を噛もうとするのをそっと指で止められて、やんわり、と肩を抱かれる。
「燐、貴女はね、本当に綺麗な女性ですよ。ほら、私を落としたぐらいですし?」
「なんだよそれ」
ちょっとおかしくて笑ったけど、随分渇いた笑い声だった。メフィストの細い指が燐の細い顎をそっと持ち上げた。ぶつかるのがメフィストの翡翠のような目だ。 こちらもおよそ人とは程遠い目であった。結局、自分は同属であるこんなふざけた男に縋り、この腕に抱かれて安堵する自分に時々、呆れる。
「…口紅は口や耳から悪魔が入ってこないように魔除けの赤を塗るようになったことが、始まりだとされています」
「…は?」
唐突な言葉に変な声が出てしまったが、構わずメフィストは続けた。
「あと江戸時代の日本では口紅は非常に高価だったので、男が意中の女性を口説くときの格好の贈り物とされていたとかも」
「おい、メフィスト、おまえ何が言いてーの?っていうか悪魔除けの意味があるならおまえ駄目じゃねーか」
「おや、イジワル言わないでくださいよ」
つん、と唇をつつかれた。いつの間にかシルクハットも外していてそれはテーブルの上に鎮座していた。くるんとしたアホ毛が揺れて、手で掴んでやりたくなった。
「燐、確かに半分人である貴女ですから、何もかもその腕に抱えるわけにはいかないかもしれませんね。これまでもこの先も、捨てなければいけないものはあるかもしれない。 たとえ完全な悪魔であったとしても切り離さなければならないものが私にだってあるように、ね」
その「切り離さなければならないもの」には自分も入っているのだろうか、とふと思ったけれど。
「あ、貴女は地獄の底に堕ちても離しませんから☆」
いや、そこまでいったら逆に離してくれたほうがいい、と呆れて言えば、ひどーい、と嘆く。
「でもねえ、燐、貴女が必要ないって捨てたものだって本当は貴女に必要である場合もあるんですよ」
「………」
「私がそう判断したときは、それは私が拾ってあげますから。私にだってそれぐらいの腕はある」
何かいう前に唇を悪魔の男のそれで塞がれた。戸惑う間もなく、甘ったるい唾液が流れ込んでくる。ざらり。と溶け切っていなかったのだろう、砂糖の感触。甘い。ぞろぞろ、と 唇も食まれて差したばかりの赤が落ちていく。それは、こう例えるのも変かもしれないが、なんだか一瞬幼い頃使っていたクレヨンみたいな匂いがして、油の嫌な感触が舌に乗った。 ぬめっとした嫌な感触。なのに、砂糖の甘ったるい味がする。
「……綺麗ですよ」
すっかり乱れてしまった口紅の広がる唇をした顔はひどいものだろう。
なのに男はめげずに言うのだ。自身も赤く染まった唇で牙で。それはまるで本当に悪魔のようであった。
そんな顔で、きれいだ、と。



「…うそつき」
「貴女がそう意地を張ることで、受け入れてもらえるなら、なんなりと」
二度目は珍しく燐からしてやった。メフィストは嬉しそうに喉を鳴らす。



「この魔除けのルージュさえ通り越して、私を許してくれますか、燐?」



なんだかんだでこの悪魔の男は、捨てられないものの一つであって、たとえ捨てることがあったとしても、ひょっこり隣に戻っているのだろうな、と燐は穏やかに思う。















2011.12.11
なんか大人っぽいの目指したつもりがすげえ恥ずかしい産物が…ふおおおお(虚無界に堕ちたい)
初燐姉さんがまさかメフィ燐になるとは私も思ってなかった! しかもちょっと早いけど誕生日の気配まで含ませて…orz
口紅の始まりについてはウィキ参考。