僕の還る場所

 

あつい。
僕がこの世界に誕生したときまず思ったことはそれだった。自分の体が燃えている。しかも真っ青に。青い炎が僕という存在にまとわりついていた。あつい。 けれどその熱で僕という存在がどんどん確かなものになっていくと感じる。先ほどより思考もはっきりしていたし、僕がどういう存在なのかいつの間にやら理解していた。
ずるり。
青くて熱くて仕方ない炎から吐き出される。べちゃ。僕はそのときまだ泥の塊のような体しか持ってなかったから、崩れて地面に落ちた。けれど、その時にはすでに「視界」 というものはちゃんと持っていた。それだけではなくて所謂、五感というものは備わっていたのだ。だから僕を見下ろす青い大きな塊の主がいることに気付いた。 僕の体はないけれど、僕は身を起こして、それを見つめる。青くて、大きい。大きく過ぎて青すぎてその中の存在がなんであるのか、見えないしわからなかった。 ただ僕はそれにとても魅入ってしまった。ぼうぼうぼう。たった今、僕を創った青い炎を全身から噴出しながら、大きく大きく、そこにある。炎は煌いているようにさえ見えた。
呆然としている僕にそれは言った。
『おまえは俺の破壊衝動とこの虚無界の一握りの土からできた』
『ああ、はい、そうなんですか』
僕はその一言だけで、僕という存在の出生について納得した。僕にそういった主は、まあまあのできだな、と得意げな笑い声をもらしていた。
『あなたは誰ですか?』
僕はその青い存在に尋ねた。
『俺はおまえの父親みたいなもんだ』
父親。僕はすんなりそれを受け止めた。炎から創られたと同時に僕にはある程度の知識も備わっていて、この青い存在が僕を創りだした絶対的なものなのだ、ということもその知識の中にあったのだ。
『おまえはアマイモンだ』
それは泥の塊でしかない僕を指差してそう言った。僕はその時からアマイモンになった。拒否権などなくてまた拒否することも思いつかなかった。
『ああ、はい、アマイモンですね』
僕は自分の名前を受け入れた。僕を創りだした父親をもっとよく見たくて近づこうとしたのだけれど、生憎、僕は水を含んだどろどろの泥のままだったので、ずるずる、 数歩分這いずり回っただけだった。その僕の様子に、父親は、けたけた、嗤う。
『おい、メフィスト・フェレス、こいつの面倒をみてやれ』
父親が「メフィスト・フェレス」という存在に向かってそう命令した。メフィスト・フェレスという存在は、一つ、ため息だけ吐くと。はい、父上。と素直に従ったみたいで、 泥の塊である僕の前まできた。僕はメフィスト・フェレスという存在を見上げる。僕と違ってメフィスト・フェレスはちゃんと形をとっていた。けれど、 輪郭がなんだか不鮮明で、まるで影がぼやぼやと集まっていびつな形を適当にとり、適当に牙と爪をつけてみただけ、そんな印象だった。顔というものは影の暗さに覆われて、 よくわからなかった。底が見えない。それになんだか、そこにいないみたい。それがメフィスト・フェレスに対する僕の第一印象だった。
『では、ついてこい、おまえ』
メフィスト・フェレスはそういって僕の前を歩き出す。僕はのろのろずるずるとその後を追った。メフィスト・フェレスは僕のそんなのろまな動きについて、歩調を合わせるというよりは、 どうでもいいらしく、ゆらゆら影を揺らしながらゆったりゆったり歩いていた。どこの向かっているのか知らない。けれど、メフィスト・フェレスは歩きながらこの世界のことを つらつらと教えてくれた。最もそれらは僕が創り出された時点である程度備わっている知識ではあったけれど。目の前を歩くメフィスト・フェレスは、ゆらゆら、長い尾を揺らしていた。
『僕もあなたみたいに歩きたいです』
ずるずる這いずり回るのに飽きたころ、問いかけてみれば、メフィスト・フェレスは、よろしい、と一言。
『自分で何を望むか、それが始まりだ』
なるほど、メフィスト・フェレスは僕が自分から自分の「欲望」を言い出すのを待っていたようだった。僕はどうすればいいのかと問いかけた。とりあえず、 足というものと手というものがあればいいよ、と答えられたので、メフィスト・フェレスの真似をして自分の形をとった。足を作った。腕を作った。顔は…どうすればいいかまだわからなかったので、 作らなかった。それでも手足がついただけの泥人形になっただけだった。でも、とりあえず、歩ければいい。大分楽になった。メフィスト・フェレスは僕がとりあえず困らない程度に形をとったのを確認すると、どかり、と地面に座り込んだ。僕もなんとなく、 隣に座る。その時になってようやく僕は周りを見てみた。赤黒い霧のようなもので覆われていて、どこかしら、何か、身近なものたちの気配を感じた。空気は湿って澱んでいて。薄暗いというよりは真っ暗な 世界だった。
『醜い世界だろう』
退屈そうにメフィスト・フェレスは呟いた。
『さあ、よくわかりません』
僕は首をかしげる。僕はまだこの世界しか見てないのだから、何と比べて醜いかなんて全然わからなかった。最も、何か他に「美しい」 と評されるものを見たとしてもそういう感想を抱くかわからないけれど。僕の反応に、ちっ、とメフィスト・フェレスは舌打ちした。
『メフィスト・フェレスというんですね』
僕が相手の名を呼べば、一応、兄上と呼ぶようにしろ、と言われた。
『私達は、皆、父上の炎と父上の「何か」とこの虚無界の「何か」で創り出されている。そして創り出されたときから逆らうことはできない絶対的な地位というものが与えられるんだ。 おまえは、他の悪魔より上物として生まれたが、その上物の中でも一番下になる。私は構わないが、「兄弟」達の中にはそういう上下関係に敏感な奴がいるから、目上のものは とりあえず「兄上」と呼んで、敬意を払え。そして決して逆らうな。ここで生き延びたければそうするべきだ。でなければ他の兄弟達にあっというまに殺されるぞ』
生きるとか殺すとか。僕にはまだよくわからなかったが、僕はまだ生まれたばかりだったし、なんとなくすぐに消えてしまうのもいやかなあ、と思ったので、「兄上」の言葉に従うことにした。
『僕達を創ったあの青いのが父親なんですね?』
『青焔魔、サタン、という。あの方が私達を創り、そしてこの世界の神に等しい存在だ。我々は父上と呼んでいる。いいか、父上はこの虚無界の全てを創り出し、 悪魔の全てをあの青い炎を使役して創りだされた。あの方はこの世界の絶対だ。逆らうことは許されない。まあ、もともと逆らえるようにもできてないがな』
『なるほど、父上が僕達を創ったんですね』
『ああ、そうだ…気まぐれにだがな』
『兄上は何から創られたんですか?』
僕の質問に、少し兄上のどうでもいいという雰囲気が変わった気がした。ぼうぼう。形の不鮮明な影がぽっかり穴を開けて、僕を見ていた。
『…私は父上の炎と父上の「虚言」と虚無界の「虚構」で、できたのだ』
『なるほど、だから兄上はそのような輪郭もない影…嘘の塊みたいな、そこにいないみたいな姿をしているんですね』
納得していれば兄上は、があ、と呻ると鋭い爪で泥人形の僕を押しつぶした。ぐちゃり。せっかく作った手足がどろどろに戻ってしまった。影が僕を見下ろしていて、 ごうごう、と暗闇を作り出している。ああ、どうやら僕は兄上を怒らせたようだ。しかし、何故怒っているのかさっぱりわからない。
『二度目はないぞ。私は…好きでこんな姿でいるんじゃない』
とりあえず、僕を殺すのはやめてくれたようで、兄上はそのままどこかへ行ってしまった。
今から考えても、何故、兄上があれほどまでに怒ったか、わからない。
仕方がないので僕はそのまま地面に寝そべっていた。赤黒い霧の覆う、世界。どこからか常に肉が腐ったような臭いもした。とりあえず空というものを見上げてみる。 何もない真っ暗な空間が広がっているばかりで途方もない。けれど、そこを青い炎が走っていた。世界の底から常に青は吹き上がっていた。僕の生まれた場所。 僕を産んだ炎。どろどろの土である僕。炎で焼かれた時から、僕はもう戻ることのできない存在となっていた。











2011.8.9書き出し 2011.11.27 加筆修正