梟の骨 12

 

あれってケンカになるよなあ。
午前の授業は寝て過ごし、午後もぼんやりと窓に視線を向けるばかりで少しも耳に入ってはこなかった。ずっと頭の中をぐるぐるしているのは、 今朝の雪男とのケンカのことである。いきなり雪男から今学園で起きているらしい事件について聞かされて、燐は頭が真っ白になった。しかし、そのせいで雪男の問い詰めに上手く答えられなかったのではない。 逃げてしまった自覚はある。心当たりだって本当はあったのだ。だが、どうしても燐はあれらは気のせいだったのだと思いたかったのだ。
しえみの家で触れただけのはずだったキキョウのこと。鬼とそのキキョウを食ったらしい悪魔の侵入。昔のアサガオのこと、そして梟の羽。
バカだバカだと普段から言われているし燐自身もそっちを使うことは得意ではないむしろ苦手だと分かっているが、そんな頭でもわかる。雪男の言った通り何かおかしなことが起きているのだ。 しかもそれに自分は関係しているといってもいいかもしれない。今朝、雪男が挙げたものは幼い頃から今までで全て燐が関わっていたことだった。
ぼうっと見ていたグラウンドでは特進科のクラスなのだろう、丁度陸上を行っていた。雪男もいた。体操着から覗く足や腕も小さい頃とは比べ物にならないほど逞しく成長していて、時折クラスの仲間に話しかけられると笑顔で答えていた。 今朝のケンカなんてなかったみたいに。仕方ないだろう。あのように燐の弟は隠すのが上手い。雪男の順番になったのかスタートラインに立つ。 数秒待ってパーンという空砲の音。瞬間、走り出す。
速えなあ。
燐はじっと雪男が100メートル走を走りぬくのを見て、そう思った。いいタイムを出したのか、担当の先生やクラスの仲間、そして雪男に憧れているのだろう女子達が笑っているのが見える。 その光景がどこか遠いもののように思えた。雪男は変わった。昔の弱さなどもうどこかへいってしまっていて、その体にあるのは年にしては逞しい筋肉とタコが目立つ手だった。 燐は今でも不思議に思うことがある。あの泣き虫で弱虫で病弱だった雪男が。あんな風に普通の人達と笑いあえて一見、優秀な普通の15歳の子どもに見える弟が。悪魔と戦う世界に踏み込んでいるのだ。
信じられねーな。
頬杖をついて、今自分が置かれている立場と雪男の立場を考えて、そう感じる。そして雪男の今朝の話も。あの話と幼い頃の雪男を見て、燐のわざと霞をかけたような記憶は、嫌でも鮮明になっていった。 アサガオ、梟のフータ、しえみの家のキキョウ。くしゃり、と髪を掻く。
俺は何かしたんだろうか。
それをどうしても認めたがらない自分がいる。幼い小さな自分が、周りに悪魔の子と囁かれ養父の獅郎に「俺は悪魔の子なのかな?」と不安そうに尋ねていたころの自分だ。

兄さん…本当に、何もしてないんだね?

あれがジジィと被った。燐は苦々しく思い出す。フータが元気になって飛び立っていってしまった直後、燐は今朝の雪男と同じようなことを獅郎に聞かれている。何をしたんだ? 自分の向こうを見ている目。おまえは人間の子だ、と自分を否定せずにそう信じさせようとしていた獅郎が唯一「自分」を見てくれていなかった出来事だ。獅郎が亡くなった今となっては、 何故本当に悪魔の子だった自分を人間として育てようとしてくれてたのか、わからなくなってしまった。けれど、燐は獅郎のそれに幼い心を救われていたのも事実だったのだ。 その獅郎が唯一「自分」を見てくれていなかった出来事だ。
いや、自分を見てくれていなかったんじゃなくて、何かから目を逸らさせようとしていたんだろうか。
そう思いつくが、それはジジィらしくないな、と考え直す。獅郎はそんな人間でそんな父親ではなかったはずだ。そのはずなんだ。
「…調子くるうな…」
教師や隣の席の奴に聞こえない程度に零す。雪男のあの目、獅郎と同じ目で見られたとき、燐の中に生まれたのはアサガオを枯らしてしまったときのような、雪男に見捨てられるのではないか、という恐怖だった。 本当にわずかなものだったが、それが奥底から、ぞわり、と這い上がってくるのを感じたのだ。ただでさえ魔神の炎を継いでいる自分だ。その上、 本当に自分がアサガオやフータやキキョウに何かしていたなんて。しかもそれが原因で何か起きているとしたら。何か底知れない力がまだ自分の中にあるとしたら。 弟にどれだけの重荷になるんだろう。あの普通にクラスの仲間と笑って輝かしい未来のあるはずの弟の両肩に。
気がつけば授業は終了していた。一気に騒がしくなり一日の授業が終わって気だるい空気の流れる教室の中を駆け足気味で出ていく。
なるべく俺だけでなんとかする。
廊下を歩きながら燐の考えていることはそれだった。いや、まだ候補生である自分なのでできる事は限られている。だが、できれば雪男を巻き込みたくはないし、 できれば自分の中に不鮮明な力なんてないことぐらい証明できる何かをつかみたかった。自分は何もしていない。燐はそう信じたかった。自分でなんとか終わらせたい。 自分の中で完結させてしまいたい。そうであれば雪男に話す必要もなくなるだろう。悪魔堕ちの誘いを雪男が話してくれなかったように。それに、これについて「人間」を巻き込んではいけない、そんな嫌な予感を燐は強く感じていた。
枯れた花を元に戻す?死んだ梟を生き返らせる?悪魔の自分にそんな神様ですらできないような力があるなんて。
そんな力が本当にあったら-----------------------







(なんで父さん?俺はアサガオがかわいそうでフータがかわいそうで泣いてる雪男がかわいそうで、 きれいに咲いて欲しかったし元気に飛んで欲しかったし雪男には笑ってほしかった。 やさしいことのために誰かのために俺でも何かできることがあるなら、そうしたかっただけなのに、 なんでダメなの。どうして父さん?なんで「何をしたんだ?」ってそんな目で俺を見るの? 父さんは俺のむこうに何を見てそんなことをいうの?どうして父さん、俺は、ただ、ただ。 --------------- 俺はやっぱりおかしいの?俺はやっぱり悪魔の子なの? …父さんの言う通りにしていれば人間の子どもでいられるの?………… そうだよね、人間の子どもが何か「もとにもどせる」わけないんだよね。そうだよね、きっとぜんぶ、気のせいだったんだ。ぐーぜん、 だったんだ。俺が雪男をよろこばせて笑わせたなんて、ぜんぶ、きのせいだったんだ)















2012.1.7