梟の骨 14

 

雪男とシュラが担当した鬼が食われた件から始まり、悪魔の捕食は止まることがなかった。
初めは数日間を置いて。それから巧みに変動していった。誰もがふと気を緩めた隙に起きる。気がついたら学園の檻にいたはずの鬼などの下級悪魔は食われていた。 それも全て心臓だけ。結界にも引っかからなかった。どんな結界で囲ってもそれに反応はしなかったのである。 とうとう学園にいる実験用の下級悪魔の半数が食われた。 どの程度の結界まですり抜けられるのか調べるためにわざと食わせたものも含めて、 全部で13体。全て、心臓。
さすがにここまで続いているのに悪魔の姿形もわからないとくれば、これはもう下級悪魔程度の仕業ではない、と学園の祓魔師全員が察した。かといって上級悪魔にしてはやることの程度が低い。 学園にいる祓魔師達の間では不穏な空気が流れるようになった。姿形も一体どのように移動しているのかどのように隠れているのかもわからない悪魔がいる。 しかもどんな結界も効かず、どろり、としたタールのような液体を残す。雪男とシュラの見つけた羽によっておそらく鳥の姿をした悪魔であろうことはわかっているが、 それだけだ。人とは正体の掴めないものであればあるほど猜疑心と恐怖心を抱くものである。 それは大人になればなるほど、厄介に膨れ上がるものなのかもしれない。意外と落ち着いていたのは塾の候補生達であった。悪魔を捕食する悪魔が学園に潜んでいる、と塾生達にも告げられたのはすぐであった。 学園内にいるときは、充分に注意を払い何か見つければすぐに講師に連絡をすること。皆、唖然としながらも素直に頷いた。唯一、燐だけはじっと机を睨んでいた。それを見て雪男はもどかしく思う。
あの朝食でのケンカから雪男が燐と碌に会話をしなくなって、すでに二週間は過ぎていた。最低限の会話はしているし、燐はいつも通りに料理を作る。
しかし、未だ燐は雪男に何も言わない。雪男も問い詰めることができずにいた。もしかしてメフィストには何か話しているのかもしれないとは思ったのだが、 あの道化の悪魔に尋ねたところで簡単に答えてはくれないような気がしていた。そして燐はメフィストにも何も話していないような気もしていたのだ。
何かバカなこと考えてないといいんだけど、と雪男は今までの燐の勝手な振る舞いを思い出して頭も痛くなる。







挨拶の言葉を交わしたときにルージュを塗った口から覗いた牙に、気づいた。
ブロンドの髪の女は雪男に愛想良く微笑み軽く頭を下げた後、ほのかな香水の香りを残して去っていく。その後ろ姿を見てると、横にいたシュラがあからさまに顏をしかめた。 普段は表情の変化の乏しい湯ノ川も眉をよせていた。雪男よりも祓魔師の任期年数の長い二人だ。今更悪魔と人のハーフを珍しがっているわけではない。それに身近に魔神と人間のハーフというとんでもない存在がいるのだから、 他のハーフを見ても驚きもしないだろう。
「彼女は?」
「ヴァチカン本部所属の手騎士だ」
シュラは床に悪魔を捕獲する効果のある魔法陣を描き込みながら答えた。今、雪男達は現在使用していない祓魔塾の教室の中にいる。机と椅子はすべて片付け、塗装の剥がれた床。 広さはかなりある。使用していない教室だが塾の中では一番の広さの教室になるだろう。その床の上で雪男、シュラ、湯ノ川の他にも学園の祓魔師が数人集まって床に大掛かりな魔法陣を描きこんでいた。
「ヴァチカン本部の人が来ているということは、今回の悪魔の件はもう?」
「とっくに本部には届いているだろうね。彼女はさしずめ監視と報告役といったところでしょう」
湯ノ川が悪魔の動きを鈍らせる薬品を床に塗りこみながら答えた。雪男もそれを手伝う。
「燐のことがあるし、今の日本支部で隠し事はむずかしーさ。ま、本部も大した悪魔じゃないはずなのに侵入を許すとはどういうことか、って喚いてるだけだろう。 大して深刻には捉えてないかもしれないな。あいつをよこしたのがいい証拠だ」
途中でめんどうになったのかチョークをごしごし意味なく床にこすりつけるシュラに、さぼらないでください、と叱咤する。
「というと?」
「あいつ、ヴァチカンから爪弾きにされかけてるんだよ。あたしはあんまり話したことないから人柄とかは知らないけど、なんでも母親が昔ヴァチカンの神父をたぶらかした淫魔だからっていうのが理由らしくてな」
くだらねえけど、とシュラはチョークを握りなおすと続きを描き込んでいった。雪男は思わず手を止めてしまうが湯ノ川は何も言わなかった。
「日本支部の監視は必要だが正体のわからない悪魔のうろついている日本支部に大変優秀であらせられる本部の人間は寄こせない。なら、体の頑丈で…ぶっちゃけどうなっても構わないハーフが適任ってわけだ。もしかしたら、メフィストが呼び寄せたかもしれないがな。 ヘタに日本支部内を探られないように考慮して」
ほれ、おまえ手止まってるぞー。と言われ雪男は慌てて床に薬品を塗りつけていった。これは人間には無臭で効果はないが、悪魔の動きを鈍らせる。 床に描き込まれている魔法陣にも似たような効果があった。学園の食われた悪魔の数はすでに13体。あのように本部からの監視役も来たとなれば本格的に対策をせざるを得ない。 相手の正体が不明でどんな薬や魔法陣に効果があるかわからないのに、罠をしかけるのは無謀だが何かしらやらなければならない状況なわけだろう。 例の本部の女は魔法陣の真ん中に用意されていた檻を眺め、口元を何やらぶつぶつ動かしている。監視役でもあるだろがしっかり手伝いはするつもりらしい。おそらく囮になる悪魔を考えているのだろう。 シュラも手騎士の称号を持ってはいるが呼び寄せるのは主に戦闘向きのものである。ネイガウスを欠いた今、確かに罠を仕掛けるにはもう一人手騎士は必要なところだろう。 あの檻に手頃な下級悪魔を入れて、悪魔に感知できないように魔法陣と薬品の匂いを消す。例の悪魔が近づいて魔法陣に引っかかったら、捕獲するなり祓うなりする。 簡単に言えば待ち伏せだ。相手の正体がわからないからどこまで通用するかわからないが。
雪男は手元を動かし今回の作戦を頭の中で繰り返しながらも、苦々しく思う。
悪魔と人間の混血児が祓魔師になるのは珍しくない。彼等にはそうなるしか生き残る道が残されないからだ。大抵は将来を危険視されて監視の下本部に収容され、そこで処刑されるか祓魔師としてヴァチカンに従属するか、 一生自由のない監視つきの生活を送るか、 道を迫られる。そこで生き残るために祓魔師になる道を選んだとしてもその先は生き地獄であることも多いだろう。雪男は兄の燐以外のハーフを実は見たことがなかった。 あの手騎士の女性が燐以外に初めて見たハーフだ。本部に所属していながら爪弾きにされて、こんな不透明な事件に当てられる。 まるで燐の将来を見ているような気がして、雪男はずんと胸の奥が重くなるようだった。特に兄は魔神の息子だ。この先、どれだけ茨を踏むことになるのか、 雪男は怖くて想像すらできないこともある。
「まあ、彼女のことはあまり気にしないほうがいいかもね。むしろこっちを手伝ってくれるんだから、大助かりだよ。学園にはもう手頃な下級悪魔が残っていないからね」
最後の薬品を床にまいて湯ノ川は腰を伸ばす。雪男とシュラが最後の魔法陣を薬品の上から描き込み、これで大方終了ある。ハーフの女性を見れば彼女は丁度、下級悪魔を呼び寄せていて檻には二体の鬼と一体の緑男がいた。 しえみと同じように緑男を呼び寄せられるようだ。それはしえみのとは違って1歳ぐらいの子供の大きさほどもあり、縦に長い葉で覆われていた。その体の表面には鈴のような形をした小さな白い花が転々と生えていて、 香りが強い。 スズランの悪魔なのだろう。女性は英語で何やらそのスズランの緑間に命令していて、その言葉に緑間は小さく頷いた。







作業が終わり教室を出ると、兄の燐がいたので驚いた。
塾が始まる前の作業だったのでとっくに講義用の教室にいると思ったのだ。燐はどうやら雪男を待ち構えていたようで、壁にもたれていた背を起こして雪男に歩よってくる。
「何してたんだ?」
案の定尋ねてきた。誤魔化すつもりだったが、 この様子だとおそらく教室での会話を聞いていたのかもしれない。燐はハーフであるせいかもしれないが聴覚などの五感も普通の人より優れている。
「変な薬みてーな匂いもしているし、例の悪魔のことだよな?」
「…そうだよ…今夜にもで罠にかけるんだ」
諦めて雪男は答えた。隠していても仕方ない。もともと人手も足りないので候補生の何人かにも手伝わせるという話だったのだ。ただしその中に燐は含まれていないのだが。
「俺も混ぜろ!」
やはりそうくるか。というか混ぜろって子供の遊びじゃない、と雪男はつっこみたくなった。あのケンカ以来、燐とは気まずい雪男だが今はそうも言ってられない。
「ダメ。どんな悪魔かもわからないし、兄さんは勝手な行動を起こしすぎる。手伝ってもらうなら勝呂くんのつもりだから」
「んだよそれ!勝呂より俺の方がゆーしゅーだろうが!」
「…何をどう考えたらそう自信が持てるのか信じられないよ…」
ずれかけたメガネを直す。双子のやりとりを見て、湯ノ川とシュラはにやにや笑っている。雪男はなんだか恥ずかしくなってきてしまった。そういえば大人の前でこのように兄と言い合いすることはあまりない。
「諦めろービビリー。こいつが一度言い出したらテコでも動かねえのはおまえが一番よく知ってるだろう」
にやにやしたままシュラが言う。
「それに、相手の悪魔の正体がわからない以上、悪魔を燃やす燐の炎は有効かもしれないぞ。今夜にもで片付くかもしれにゃいよ」
「さっすがシュラわかってるな!」
途端、目を輝かせる燐に、今度美味い酒のつまみ作ってくれなー、とちゃっかり見返りを要求しているシュラもシュラだ。雪男は頭痛がしてきた。彼女の言うとおりかもよいいんじゃない、と湯ノ川まで燐のフォローに回る始末だ。 それだけ言うと大人達は職員室に戻っていく。期待にしっぽを揺らす兄を見ながら、雪男はため息を吐いた。
「わかったよ…。でも勝手な行動は絶対しない。それは約束してよね」
「おう!」
わかっているのかいないのか、しかし答えだけは潔い。雪男もあまり反対する気にはなれなかった。まだ誰にも話していないが、この悪魔の件に燐が意図せずとも絡んでいる可能性があるのだ。 燐は燐なりに考えているのだろう。相手の正体がわからないことにはどうしようもない。二週間前の朝ごはんでの会話を思い出し、雪男はまた口の中が苦くなったような錯覚を覚えた。
「兄さん…あのさ」
「よし!じゃあ今夜は徹夜覚悟だろ?塾が終わったら夜食作って持っていくぜ」
「いや、だから遊びじゃないんだって!」
するり、と。話の核心を逸らされた。燐がこうして相手の会話をそらすことは珍しい。よからぬことを考えていなければいいんだけど、と雪男は思う。例えば責任とかそういうのを感じているとか。

責任とか、感じていなければいいけど。

夜食なんにしょうかなー、と笑っている燐を見る。燐はこれでも責任感は強い。というより目の前で誰かが傷ついたりするのが耐えられないのだ。そんな優しい人よりもよほど綺麗な人らしい悪魔なのに、 どうして、彼の将来は辛いものだと決められているのだろう。
「あ…」
燐が小さく声を上げた。
教室から髪をゆらして例の手騎士の女性が出てきたとき、女は燐を見るとあきらかにびくりと体をすくめ、顏を青ざめさせると逃げるように走っていった。 その何かを恐れるような様子にすぐに雪男は察する。燐はどこか寂しそうに笑って彼女が廊下を横切って見えなくなるまでその背を見ていた。
兄さん、あの人、と雪男が聞く前に燐は答える。
「俺が怖いんだってさ。でも。いいんだ」
「いいって…そんな」
「…いいんだ、だってさ、塾のみんなは俺のこと怖くなんてねーって言ってくれてるんだ。今は、それでいい」
今はそれで幸せだ。
何が幸せだ。と雪男は言いそうになったのを堪えた。本来ならば近い存在であるはずのハーフにさえ敬遠される。この先、同じようなことが兄の身に降りかかるのだろう。 誰も兄を見ようとはしないで。それなのに、わずかに掴んだものだけで満足しようとしている兄がもどかしい、と。しかし、燐は雪男の考えていることよりさらに上を考える。
「だけど、見てろよ雪男!そのうち両手じゃ抱えきれねーほどの仲間だって増やしてみせるからよ!」
あ、でも何も両手からは離さねーけど!
燐は雪男の考えていることよりさらに上を考える。雪男は目を丸くした後、ゆっくりと苦笑した。
そういえばこうして笑って会話したのは二週間ぶりだった。











被害は下級悪魔でしかでていない、正体不明の悪魔だが甚大な被害がでることはないだろう。雪男はそう思い込んでしまった、油断した。それは燐も同じであった。















2012.1.16