梟の骨 19

 

虚無界とは、物質界と合せ鏡のように存在するもう一つの次元である。
虚無界は人間の想像を超えた世界であり、そこで誕生したメフィスト・フェレスが見てきたものはまさに秩序などなく何もかもでたらめであった。 常に悪魔達にまとわりつく空気は湿って澱み、吸い込むたびに肺の中に苔が溜まっていくような重みがあり、不快感を伴う。流れ来る汚泥の川には、 何のものかもわからない肉片が浮いていた。踏みしめる大地は常にぐしゃりとやわらかくぶくぶく瘴気を吐き出していて、完全に腐っていた。 そんな大地に草木がまともに生えるわけもなく、生えるとしてもその腐った大地の養分を吸うために錆びた鉄のような汚れた赤色に染まり、ぼろぼろであった。 そうして、どこまでも何もない不毛の地平線が広がっているばかりであった。時折、転々と物質界のものを反映したのだろう建物が建ち並び小物が転がっていることもあったが、 それは物質界での最終的な滅びの姿をしていて、朽ち果てていた。
かろうじて上と下と右と左はあり、朝というものと夜というものはあったのだが、虚無界はほぼ闇の中のように真っ暗であった。 空に浮かんでいる物質界でいう「太陽」と同じような役割を果たすものはあったのだが、出てくる方角も沈んでいく方角もまるで気まぐれで、紫色に燃える丸い大きな塊で、 虚無界の空を腐ったぶどうのような紫に染めて朝というものを導き出し、夜というものが訪れれば空のどこかへ消えていき、代わりに赤く輝く月のようなまるいものを引っ張ってきて、 闇の帷を下ろしていった。 余談ではあるが一見でたらめに見えるそんな「太陽」にもある程度の規則性があると気づいたメフィスト・フェレスはそれから虚無界であるかないかもわからない「時間」というものを計っていたので、 実は自身が虚無界で誕生してから何百年経過しているのかその正確なところを知っている。その「太陽」は虚無界の腐って澱んだ大地に熱を与える役目もなく、 ならば虚無界に熱源を与えていたのはなんであるかというとそれは魔神の青い炎のみである。魔神の青い炎は常に魔神からごうごうと吹き出していて、時折、 腐った紫色の空を稲妻のように走っていることがあった。悪魔達は自分達の頭上を舞う青い炎の美しさに見蕩れるか、あるいは恐怖し、己があれに縛られた存在であることを常にその身に刻まれている。
悪魔の虚無界におけるその姿形は気体のように掴むことも見ることも困難なものもいれば、犬のような胴体をもちながら背中にはコウモリのような翼が生え口は狐のように避けているようなものもいて、 またどろどろに崩れて溶けながら地べたを這いずり回っている粘菌のようなものもいて、ひとつとして同じ姿をしたものはおらず、また人でいうところのまともな姿をしたものもいない。
悪魔達はその世界で産み落とされたといっても、それは「命」とは決していえない存在であることも確かだ、とメフィストは思っている。



「人間でいうところの「命」の定義と同じにしていいものではない。我々悪魔は所詮、異形のものたちだ。我らは「生まれた命」ではなく「創造された玩具」でした」

魔神はすべての悪魔の創造主といわれている。
これについて少なくともメフィストは人間に話したことはなかったが、人間がいつのまにかたどり着いた仮説はほぼ間違ってはいないだろう。 しかし、どう創造しているのかなどもちろん知る由もない。また知ったところでどうにかなるわけでもない。創造の原点を知ったとしてもそれで創造された悪魔を祓う有効な方法を導き出せるわけではないからだ。 だから、人間は目先の有効は手段に縋る。聖水、詠唱、剣に銃。それで悪魔達を祓えるのだから、人間達は虚無界に沈むおどろおどろしい悪魔の誕生について、考えることを忘れていった。
それでも人間は考えるのをやめるべきではなかったのだとメフィストは思う。魔神はすべての悪魔の創造主。そして、その創造主が物質界で産み落とした子どもがいると知ったときから、 再び考えるべきであったのかもしれない。もちろん、深く考えてくれなかったことはメフィストにとって都合がよかったわけなのだが。

「魔神自身がどこから誕生しどうして全ての力を兼ね備えた存在になったのか、それは私にもわかりません。 ただ最初は魔神だけであったと思います。そこから魔神は悪魔を創造した。ただ玩具を増やしたいそんな幼心からだったでしょうね。あるいは自分と同じ青い炎を継ぐものを創りたくて。 そうして魔神は虚無界で「悪魔」という異形を創造しました」

では、一体悪魔達はどのように創造されたのか。

「いつだったか魔神がまるで子どもの遊戯の思い出話のように言っていましたよ。これでもけっこう試行錯誤した。 けれどたどり着いた結論は、虚無界あるものを使って、青い炎で固めてしまえばいいのだ、と」

かつて魔神はそうういって、青い炎の向こうでケタケタ嗤っていたのを、メフィストは覚えている。

『俺の「何か」と虚無界の「何か」を世界が始まる前の泥みてえにぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて、』

魔神はそうして固めた「始まりのもの」に自分自身の何かを「与える」。そうして青い炎の中で悪魔を創る。

全ての悪魔は魔神の「何か」と虚無界の「何か」と青い炎で創られた。

その中でも最も魔神の「身体と精神」に近い「何か」で創られたのが八候王と呼ばれている。

地の王、アマイモンは魔神の青い炎と魔神の「狂暴性からの破壊衝動」と虚無界の「一握りの土」から。
腐の王、アスタロトは魔神の青い炎と魔神の「中傷癖」と虚無界の「最初の悪魔の腐乱死骸」から。
水の王、エギュンは魔神の青い炎と魔神の「秘密を暴露する口癖」と虚無界の「最初に魔神の心臓を洗った水」から。
火の王、イブリースは魔神の青い炎と魔神の「絶望への憧れ」と虚無界の「太陽から堕ちてきたヒトカケラの炎」から。
氣の王、アザゼルは魔神の青い炎と魔神の「罪を身代わりにするもの」と虚無界の「肺と皮膚を血色に染める穢れた空気」から。
蟲の王、ベルゼブブは魔神の青い炎と魔神の「くだらぬ自負心」と虚無界の「羽化することなく干からびて死んだ何かのサナギ」から。

『俺の炎と俺の「何か」とこの虚無界の「何か」で創ったんだよ、おまえらを』


「まるで子どもが泥で人形を作るようではないですか。 いや、我々は魔神にとってそのようなものでしょうね。都合のいい道具であり、つつけば壊れる。 どろどろの土と水の塊を炎で燃やして二度と崩れぬように固めていく。しかし、これは魔神が青い炎を持っていたからこそ、できたことだ」

魔神の「何か」と虚無界の「何か」をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせて、青い炎で、ごうごう、と。メフィストは何度かその光景を見てきた。そうして創造された悪魔達は、 やがて初めての欲望を持ち、己を持ち、姿形を成していく。

「青い炎がただ悪魔を人を大地を草木を燃やすだけのものだったならば、魔神が神といわれることはありえないでしょう。青い炎には計り知れない力がある。 そのすべてを私は一応知っていますが、今、あなたが知るべきこと以外はあなたがこれから先自分で知っていくべきことです。ああ、そうですよ、あなたが今知るべきことは」

「あなたが魔神と同じように、新たな悪魔を創造したことですよ」

梟とアサガオとキキョウで。

「悪魔はすべて青い炎から創られた。そして、おなじ炎(血)を継いだあなたも、実に幼い頃からすでにそれを成し遂げていた。あなたは、枯れたアサガオを悪魔にし、 死んだ梟の死骸を悪魔にし、腐ったキキョウを悪魔として創造しなおした。「もとにもどしてなどいません」。その死んだ亡骸から離れていった命が戻ってきたわけじゃない。 先ほども言いましたがそんな力はないんです。一度離れたものは蘇らない。しかし、「命」とはいえない異形の悪魔を新たに創造はできる。魔神とあなたにならね。 あなたは空になった物体を、魔神がしたのと同じように、新たな悪魔として創っただけのこと。アサガオを梟をキキョウの死骸を利用して、そこにあなたの「何か」を混ぜ、 あなたの皮膚の下に流れる抑えきれない「炎(血)」を使って、あなたは悪魔を創造した」

燐の「保身」と「干からびて枯れたアサガオ」から。
燐の「慈悲を持てるものへの憧れ」と「病に食われて死んだキキョウ」から。
燐の「弟へ慈愛を持ちたいという願望」と「死んだ梟のヒナ」から。

「思い出してもみてください。あなたが「もとにもどした」と勘違いしたまま側に置いた「悪魔達」はあなたに従順だったでしょう?あなたの混ぜた「何か」を叶えるために、 健気に咲き続け健気に鳴き続け、あなたの望んだことを、叶えてくれたでしょう?」

アサガオは綺麗に咲き誇り双子の弟を喜ばせ、「きらい」という言葉をなかったことにして、
キキョウは優しく咲き誇り、友人の女の子を笑顔にして、
梟は従順に懐き、これもまた双子の弟の涙を止め、笑わせて喜ばせた。

「悪魔とは創造された時点ではそうなのです。「創造主」に逆らえずまた逆らうことも思いつかず、 そうなるようにはできていない。どこまでも都合のいい玩具。しかし私達「悪魔」の場合は所詮創り出したのがあの魔神だ。魔神の子は魔神の醜さえも引き継いで、 長く生きれば生きるほど、自我を持ち、己の欲望のみに従うようになる。そうして余計な知恵をつけて独り歩きを始める。己ために欲のために常に否定する快楽の求道のために。 創造主がそうであるようにね。そして稀に私のように創造主に反逆する悪魔もいる。そしてあなたの創った悪魔達も、 あなたに従順であなたの欲望を叶え、それを自分の全てとして逸脱した存在してはいけない悪魔として咲き誇り続けた。あなたにとって実に、都合のいい、玩具だった」

「ここであなたが魔神を超え成し遂げたこと、それは、あなたと同じように憑依体など必要とせずに悪魔として物質界に存在できる悪魔そのものを創り出した点にある。 アサガオもキキョウも、梟も。全て物質界で存在できる確かな「肉体」を持った新たな悪魔達だ。あなた、これがどれほどのことかわかりますか? あなたと同じように物質界に「肉体」を持つ悪魔が、あなたの手で創造できるということが、確かに創造したということが」

「あなたは、自分のそれをよおく自覚すべきです。向き合うべきですよ。あなたが何をしてしまったのか。生き物として命を終えるはずだった死骸に何をしてしまったのか。 自分のためだけに何をしてしまったのか」

「あなたの創り出したあれらは、最も滑稽でおろかでそして哀れな悪魔達だ」



「奥村燐くん、あなたはとても、かわいそうな悪魔達を創ってしまったんですよ。 そして梟の悪魔があなたの創った悪魔が、虚無界の底に沈んでいた最も穢らわしいものを呼び寄せてしまった、」







それがどういうことなのか、よおく、自覚しなさい。







『ねえねえ、これなら雪男も泣きやんでくれるかな!俺のこときらいにならないでいてくれるよな!』
『ね、ね、元気になっただろ!これなら雪男も、もう泣かないだろ!』
『雪男ためにしえみが渡したかったもの。しえみが悲しそうな顔をしてしまったもの』
『これが戻ればしえみは笑ってくれるだろう、そして、雪男のためにもなるんだろうか』















2012.1.28
以前書いた「僕の還る場所」で作った設定です。あの話が不完全燃焼気味だったのといつか長編で使いたいと思っていたのもあったので、より詳細な設定(酷い妄想)をつけて書き出しました。 ひでえ捏造度ですみません(土下座)