梟の骨 22

 

うらやましい、ねたましい。



ぐっちゃりぐちゃりぐちゃり。
血の臭いが身に染渡る。私の身となり肉になる。どくどくと脈打つ空の心臓から、傷をつけたあれの何かが流れ込んでくる。
とうさん、とうさん、とうさん。
あれは愛されていたのだという。愛、愛されるとはなんであろう。私にはよくわからないが、それはおそらく私が父上からはもらえなかったものなのだろう。 あれは私と違ってすべて与えられていた。青い炎も悪魔の力も父上の執着も。それなのに、父上を拒絶し、別の人間を父として慕っている。何故だろう。 私は父上に捨てられても拾ってもらいたくて仕方がないのに、あれはそれを求めていない。何故なのだろう。私は汚泥の底に捨てられて、 何度も何度も何度も呼びかけたのに誰も私には気付かず、気の遠くなるほど寒さも冷たさもわからぬほど長く長く沈んでいたというのに。 何故、こうも違うのだろう。わからない。わからない。
うらやましい、ねたましい、にくらしい。
出来損ないでも悪魔の私にはこういう負の感情ばかりが育っていく。それ以外を私は知らない。何にも与えられなかった。
だから私はあれが欲しい。
あれには傷をつけた。愛されていた。などと温かなものに沈むことなど許さない。許さない。許さない。私のような、絶望の底を知ればいい。 寒ささえわからなくなるほどの泥の底を知ればいい。私の底に沈めばいい。そうだ、あれは私のものになるのだ。 私の味わった哀しみと痛みと寒さを味わえ、そして私のものになれ。おまえは私の半身だ。私のカケラだ。おまえの還るべき場所はこの私の中だ。 オトウト。などというものの側ではない。おまえは私のものだ。私のものだ。私のものになるのだ。
許さない。許さない。許しはしない。
愛されなかった私を捨てて愛されるなんて許さない。うらやましいねたましいにくらしい。私にはない全てを手に入れた私の片割れが。
おまえは突き刺すような寒さの中に沈めばいい。逃がさないぞ。絶対に。絶対に。おまえは私に還るのだ。
うらやましいねたましいにくらしい。にくいにくいにくいにくい…?



はて、私は何がこんなに憎いのか。







ぐちゃりぐちゃり、ごくり。
たっぷりと食ってきた肉塊が融合を始める。それは糧となり仮初ではあるが肉をつける。めきめきめき。と仮初の梟の骨がきしむ。最早、生物からは外れた大きさを持った骨も肉体も羽も。 ぐぐぐぐ、と梟は呻る。ぼたぼたぼた。と食ったばかりの血がくちばしから滴り落ちる。げえ、と受け付けなかった肉塊が喉からせり上がってくるが黒い塊がそれを許さない。 胃袋におしこめられ、また呻く。拒絶する体とは裏腹に、取り憑く黒い泥は体を侵食していく。それに纏わりつかれながら、闇の中で浮かび上がる青い二つの目から、黒い涙が流れていた。











「兄上」
しゅたん、という変な音を声で出してアマイモンが降りてきた。靴には血のシミがついていて、メフィストは顔をしかめる。
「…あれはどうだったアマイモン?」
ぱちん、と指を鳴らしてアマイモンの靴の汚れを現れた使い魔に拭わせた。アマイモンはどうでもいいようで、首をこてんとかしげる。
「はあ…探しに探してようやく見つけましたけど、やっぱり空間を作っていて阻まれて入れませんでした。中の様子は見れましたけど、 なんだかどんどん悪趣味になってます」
ぐしゃ。靴を拭っていた使い魔を潰してしまう。昔から足癖手癖の悪い弟だったが頭が痛いな、とメフィストは米神を押さえる。
「なんかこうですねー、めきめき、肉塊がすっごいことになって、ぼこぼこ、とすっごいことに」
「……もういい」
あまりのボキャブラリーの少なさ。アマイモンは、そうですか、と言うとデスクに置いてあったカラフルなマカロンを指でつまんだが、少し顔をしかめると、べえ、と舌を出した。
「…なんか食欲ありません」
「…おまえがか?」
いつも暴飲暴食のやつがまさかの食欲不振である。アマイモンはつまらなさそうに指でピンクのマカロンをふにふにいじっていた。
「さすがになんかアレと近づきすぎて…アレは不快すぎます兄上」
実際アマイモンの服にもあれの異様な気配と濃すぎる血の臭いがついていた。
「それで、どこで何対やられた?」
「えーっと…学園をちょっと外れた住宅街とかいう場所で、気まぐれにうろついていた中級の三匹、下部だったのか中級が食われたことに気付いて出てきてしまった上級が一匹、」
食われました。
「学園の外でか?」
イスに深く腰掛けていたところ少し身を乗り出す。はい、とアマイモンは抑揚なく答え、つぶれたマカロンを仕方なさそうに口に放り込む。 行動範囲を広げたようですおかげで僕の眷属も僕もかなり走り回りましたよ、ともちゃもちゃマカロンを咀嚼しながら言う。その言葉にメフィストは、ヒヒヒヒッ、と大笑いしたいのを堪えて少しおかしな笑い声を盛らした。紳士らしからぬと言われようと今は知ったものか。 どうせ紳士のカケラもない弟しかいないのだ。
相手は力をつけてきている。さすがにメフィストもこれ以上好きにさせるつもりはない、と考えているんだろうと数秒前までのアマイモンは思っていた。
「あ、でも外にいたのはちょっと違うみたいでしたよ。なんかこう、たぶん、分裂的な」
アマイモンの言葉に、ほう、とメフィストは呻いた。
「分裂するみたいですね。大本は学園から離れてないかもしれません。しかし、兄上でも居場所がわからないなんて」
とんとん、とピンクの傘の先で絨毯を叩く兄を、アマイモンの眠そうな目が覗っていた。アマイモンが阻まれながらも見たものはおそらくあれの体の一部だ。 結界も効かない。とうとう一部分とはいえ学園の外まで出てきて、中級悪魔と上級悪魔まで食ってしまった。アマイモンが見たときはすでに「食事」の大半を終えた後だったようだが、 自分の領域内を好きにされて未だ悪魔の捕食は止まらないのに自ら出向くこともしない悪魔の兄に、アマイモンは珍しく怪訝そうに眉を寄せた。
「…まさかとは思いますけど、兄上…」
アマイモンの言葉を遮るようにメフィストは試験管を取り出して中身を揺らす。意志を持っているかのように蠢いている。アマイモンは、また、べぇ、と舌を出した。
「兄上、そんなもの出さないでください」
「そんなに不快かこれは?」
もちろん、メフィストにとってもいい気分ではない。浅ましくふつふつと腐った汚泥の気配を思わせる。あの退屈だった虚無界の底。これは悪魔に成りそこなったものだが、 もしこれが形を成していれば八候王の中で一番の地位を与えられていたかもしれないのだ。アマイモンはまだ若いといってもいい悪魔なので本能的に近寄りたくないのだろう。
「不快です。それがもともと父上の心臓であったとしても鳥肌立ちます。それには悪魔の以上も以下もない。何にもないのに何かある。 もうそれの半径1キロメートル内にも近づきたくないです」
「とりあえず、また眷属でもなんでも使ってあれを追え。そしてできればこれ以上悪魔を食わせるな。もうころあいだ。これ以上はどう変貌するか私にもわからんのだ」
近づきたくない、という訴えはあっさりスルーされる。アマイモンは、はあ、と一丁前にため息を吐くと、億劫そうに腰を伸ばした。
「ワカリマシタ。とにかく僕の眷属を走らせて下級から上級まで忠告できるやつにはしばらく物質界には出てくるなと忠告しておきます。でもほとんどのやつは聞き入れないと思いますよ、 眷属でもない限り上級だとなかなか言うことを聞いてくれない」
「それでもできるだけ、だ」
「…兄上」
「…なんだ?」
「僕にはできませんでしたけど、兄上ほどの方が本当にあれの居場所さえも特定できない、と?」
「本当だ。あれには結界も効かなければ一度空間を作ってしまえば私でも入れない。影に同化するのも巧い。居場所は、わからんな、「居場所」は」
「…ならば、」
上級悪魔がひょこひょこメフィストの領域に近い場所で出てくるわけがない。下部の悪魔を食われた報復に?ならばそもそも中級悪魔も学園の近くでうろついていることがあるだろか。 メフィストの結界は学園と学園を囲む要塞のように成り立っている町全体を覆っているが、結界外であってもメフィストが監視を怠っているわけではない。何せメフィストの箱庭の中には羽の下で育てている最中の末の弟がいるのだ。 あれを狙う悪魔は本当に腐るほど、いる。そんなメフィストの支配下におかれた領域内で、中級もの悪魔が都合よく何匹もうろうろしているものだろうか。しかも上級まで。 アマイモンはそこまでぼんやりと考えたがもともと頭を使うことは苦手であった。
何だ言いたいことがあるなら言ってみろ、と言葉には出さずとも目がそう言っている。アマイモンは、いえなんでも、と言葉を濁した。
「…ただ中級のうち二体はエギュンの兄上の眷属、もう一体はアザゼルの兄上…他に下級のも数えたら全ての魔元素のやつを食ってます。 しかも上級の食われたやつ、アスタロトの兄上の眷属でしたよ。アスタロトの兄上、明日から機嫌悪いでしょうね」
「知ったことか。やつらは虚無界だ。そして父上の「縛り」から逃れようとも思っていない」
口の隙間から牙を見せ付けるメフィストに、アマイモンは、ばさ、とぼろぼろのコートをはためかせて、無作法に窓に手をかけた。 がたん。寒い風が入り込んでくる。夜空に浮かぶのは満月であった。青く染まっている。明るくて周りの星を呑み込んでいる。虚無界の月は赤色しかし知らなくて物質界のように青、金、銀色と姿を変えてはくれない。 物質界でも赤い月に染まることはあるのでどちらかというとその色の方に悪魔の本能が騒ぎ立てられるのだが、美しいと思ったことはない。でも今夜のあの青い月はきれーだなあ、とアマイモンは思った。
たった一人の子どもを除いて、すべての悪魔が力として受け継ぐことはなかったが、悪魔の本質の中には、血の脈として青い炎が流れている。 だから青い炎を悪魔の炎(血)とするならば、我等と違って唯一「交配」という方法で誕生した魔神の息子、人と悪魔の狭間に立つ末の弟も確かに弟であるのだ、と初めて奥村燐のことを聞かされたときメフィストはそう言っていた。 唯一、虚無界の神の炎(血)を継いだ末の弟。以前、結局ハト時計に閉じ込められて決着をつけられなかった戦いを思い出す。空を走る青い炎。あれは虚無界そのもので、きれー、だった。
だから虚無界で創造された身はこういう夜に惹かれていく。けれど、今、アマイモンはそんな気分にはなれなかった。 本当ならこんな夜は血がざわざわして愉しいのになあなんかぶっ壊したいなあと思うはずなのになあ、とぼやきながら、

「…兄上は本当に恐ろしい方だ」
「………」
「…教育とはいえほどほどになさってください。僕はまだ奥村燐と遊びたいですし、兄上だって奥村燐が取り込まれてしまっては元も子もないでしょう」
それとも、これを越えて奥村燐がもっと高みの力でもつけるのなら、まあちょっとは面白くなりますけど。

と告げて、ひょい、と窓から飛び降りた。

ぱちん。指を鳴らして窓を閉める。

宙に浮いたポットから白いカップへ見事な琥珀色の紅茶が注がれる。硝子を隔ててまあるい青い月が浮かんでいる。悪魔は、ふ、と息を一つ吐くと、紫の手袋をはめた手を伸ばす。 美しいな、と囁いて、青い月を手の平で覆った。











2012.2.2