梟の骨 5

 

「逃したなんて貴方、バカですか?」
「うるせえ、ちょっと油断したんだよ!」
「そもそも早々に取り上げてしまうと双子が泣くからという情けない理由で、例の梟を懐に入れていたのは貴方でしょうに」
呆れたように肩をすくめる道化の悪魔は今はゆったりとした浴衣姿で呑気に緑茶をすすっていた。目の痛くなるような派手な装飾を施された 高価な家具で彩られた正十字学園理事長室のことである。 さすがにバツが悪いのか、白いものが混じり始めている髪を掻いて獅郎はこれまた立派な布でできているであろうソファに腰掛けた。いやにふかふかで馴染めない、と思った。
考えるのは籠に入れる直前に、まるでここに連れ込まれるのを知っているかのように逃げ出したあの梟のことだ。
おそらく獅郎の目の中に何かを読み取ってしまったのだろう。迂闊だった。そこまで異常に賢い梟であったのだ。ならばあれは最早、普通の梟ではない、と決定付けたようなものだ。 いや、死んだはずの状態から生き返った時点で、あれはもう生き物ではないはずだ。
苛々するように昔の喫煙の癖が出てきたのか、自然とカッソクのポケットを探るようにしてしまって、手を止めた。重厚なデスクに肘をついたメフィストは獅郎のそんな余裕のない様子に、 くつくつ、嗤う。
「タバコ、出しましょうか?」
「いらねえ、もう止めたんだ」
口寂しさを誤魔化すように出された緑茶を飲み干す。
「…アサガオはどうしたんでしたっけ?」
獅郎が茶を飲み干すのを待ってメフィストは尋ねた。はあ、と一息ついてから獅郎は眉間に集まったシワを伸ばすように指で揉む。
「…秋になっても姿を変えることなく咲き続けてりゃあ、さすがに処分した。ちゃんと燃やしたさ」
思いつく限りの祓魔術を用いて燃やしたのだ。けれど、割とあっさりアサガオは燃えた。まるでもう自分の役目はないかのように、燃えたのだ。 それでも秋まで枯れることなく青い花を咲かせ続けたあれには、多くの悪魔と対峙してきたはずの獅郎でも、ぞっとさせる何かがあった。あれもまた、 花ではなかったのかもしれない。
「というか、何故、そのアサガオを私に見せなかったんですか?」
「うるせえな、まだ信じたくなかったんだよ…」
燐が何かをしたなんて。
「…藤本」
この男にしては情に流されすぎているな、とメフィストは思った。以前から双子を「本来の目的」も忘れかけているんじゃないかと思わせるほど可愛がっていることは知っていたが、 それにほだされて見るべき事実から目を逸らすなど、この男も弱くなったものだな、とメフィストは決して落胆ではなくただそれが面白いと思った。まあ、 信じたくもないだろう。倶梨伽羅の封印は異常なし。念のために強化したのがアサガオの件のすぐ後だったのに、次いで、例の梟のこと。
「…これも魔神から継いだ炎のせいか?」
「…そうとしか言いようがありませんねえ」
けれど、倶梨伽羅の封印はしかと施されている。ならば何故、零れるのか。
「それはですねえ、藤本、あの子どもが普通の子より多少…力が強く、自分の凶暴性を抑えられないのと同じようなものなんですよ」
倶梨伽羅に封印できるのはあくまで魔神の炎だ。幼少のときから悪魔の子というその片鱗を見せていた、しかし、炎とは直接関係ない力がどうしても抑えられないように、 あれはそういう力なのかもしれない、と。
「あるいは、燐くんが望んでしまったから出現してしまった力とも考えられますねえ。いずれ覚醒すればあの子の体からは常に感情を伴って炎が吹き出るようになるでしょう。 それと同じように、感情とか欲望でおそらく左右されるのかもしれませんよ、ま、あくまで仮説ですけどね」
息子として確かに愛情を注いでいる子どもの将来のことを出されて、獅郎は項垂れるように額に手を覆った。
「いいですか、あの子は、すべての力を兼ね備えた魔神と人間のユリ・エギンの子どもであり、確かに魔神の力を継いだ非常に稀有な存在です。その魔神の力がどのようにどんな形で出現するかなんて、 私にだって予想がつかない」
だからこそ面白いんですけど。
という言葉は飲み込んだ。言ってしまえば祓魔用のマシンガンで攻撃されるのは目に見えているからだ。
「…とにかく、貴方がすることは、感情を抑えて凶暴性を抑えさせることを教えた時のように、その力を望むままに使わせないよう「教育」することですね」
今回なら肋骨折らなくても済むことでしょう。
獅郎は額を手で撫でた後、メガネをかけなおす。双子を育てるようになってからぐっと老けたなあ、とメフィストは思うのだがそれは単純に時が流れていったからかもしれない。
「わかった…やるしかねえな」
「梟はどうするつもりです?」
「しばらくは探してみるが妙に賢い奴だった…もう見付からないかもしれない。でも、悪いことする奴ではないことは確かだったと思うが…」
双子が手当てをしてがんばって育てて、そしてそれに応えるようにかわいく振舞ったあの梟は、確かに悪いものではなかったのだろう。最早、生き物という枠組みから逸脱してしまったものでも。 悪魔の全てが祓うべき対象にはなりえないように、あれも恐らくそういうものだ。しかし、あれは、なんと言ったらいい存在であったのだろう。 やはり、梟か、それとも。
「…メフィスト…」
はい?とゆるい返事を待つことなく獅郎は続けた。
「…あの梟はなんだったんだろうな…」
「見てないのでなんとも」
顔を見てないが楽しそうに口の端を上げているであろうことが嫌でもわかって、獅郎はさっさとここを去りたいと思った。そして思うがままにすることにした。
「貴方がいうならその梟は別に放っておいてもいいでしょうね。しかし、そういう逸脱したものには「よくないモノ」が寄ってくることがありますから、 なるべく見つけて処分してしまいなさい」
メフィストの警告するような言葉に、言われなくとも、と獅郎は頷いた。あれが例え双子が可愛がっていた梟といってもその点で容赦をするつもりはない。 逸脱したものをいつまでもこの世に留まらせることが慈悲だとは獅郎は思わなかった。ただ、燐はそれを知らなかった。ただそれだけの無邪気な気持ちだったのだ。 だからこそ、獅郎は燐にどう教えてやるべきか考えあぐねいていた。
「ああ、あとですねえ、藤本」
こちらもやたら重い素材でできているのだろう茶色く光る装飾の繊細な扉の鍵穴に、修道院への鍵を指したとき、メフィストが呟いた。なんだ、と声に出さず横に目を流しただけで応える。

「…悪魔って何で生み出されているのか、考えたことあります?」

照明も充分な部屋であったが、こちらを見るメフィストの目元には何故か、深い闇が覆っているように見えた。
「知るわけねえだろう」
またこの道化の悪魔はそれを教えるつもりもないだろう。そんなことは知らなくていい。虚無界の仕組みや悪魔の存在について論議し合って答えを出したところで何になる。 すでに人間は悪魔を祓う方法を多少なりとも獲得しているのだ。ならばそれに磨くことに全力をかけるべきだろう。自分が知っているのは、燐と雪男がどのようにして生まれたのか。ただ、 それだけでいいのだ。







「いけませんねえ、藤本、大切な話は聞かないと。そういうところ、貴方の悪い癖だ」
獅郎が去った部屋でメフィストはくつくつ嗤って呟いた。
悪魔の鋭い牙は、今はお気に入りの砂糖菓子を噛み砕くことに夢中である。















違う。
手に入れた「肉体」に潜みながら私はそう感じた。この「肉体」はほんの断片であって本物とは程遠い。これは違う。私の求めている私の半身ではない。 しかし、これではっきりした。手に入れたこの小さな体から感じ取れる。どこかにいるのだ。 どこにいるのだ、何もない私が得るはずだったものを全て得ている他のもの。私はそれを手に入れたい。 原始の悪魔の父上が落としたものを、否、もともと私が得るはずだったものを、私は取り戻したい。私のカケラ。私の半身。私は初めて手に入れた五感で、初めて物質界という世界を見た。 そこは広大で暗い森の中で、真っ暗な空には明るい青い月が昇っていて全ての生命を照らしていた。虚無界にいたころ私は何も見れなかったが、与えられていた知識で知っている。 あれは父上が持っている炎と同じ色。私は焦がれた。私が得るはずだったものを全て得ているのであろう、私の半身に。父上に全てを与えられた半身に。 しかし、私は未だ弱い存在であった。 しかし、以前のような弱さも強さもない状態からは格段の進化であった。私は弱くなった、だからこそ得られるようになったのだ。私は弱く、また私の半身の存在も上手く感じ取れなかった。 私は本能的に思った。待たねばならない。そうだ、待つのだ。私の手に入れるべき力が存分に膨れ上がるその日まで。待つことには慣れていた。 一人で、じい、っと暗闇の中に潜むのには慣れていた。今までの長い長い時間に比べればその半身が目覚める日を待つことなど、なんでもなかった。
そうだ、待ち続けるのだ。
私は手に入れた体に生える羽を膨らませて身を潜め、暗い森の中で、じい、っと待つことにした。身を縮めて。そして、少しずつ、少しずつ、力を蓄えながら。











2011.12.26