梟の骨 6

 

いいか、燐。一度亡くなったものっていうのはもう二度と元には戻らないんだ。おまえの触ったアサガオもかわいがっていたフータも。あれはな、 アサガオのためにもフータのためにもならないんだ。父さんは思うんだけどな、あれはもう違うものになっちまったんじゃないかな。アサガオでもないものに、 梟でもないものに。何になったのかは父さんにもわからないが、でも、あれはやっちゃいけないことだ。ん?そうだな…雪男は確かに喜んでくれたな。 でも、あんなことをし続けても雪男はそのうちきっと喜んではくれなくなる。雪男が泣くのは嫌だろう、燐。おまえが同じことを続ければ、きっといつか雪男は悲しむことになる。 だから、燐。もう二度としようなんて思うな。「もとにもどる」ものがあるなんて思うな。何にも、戻らないんだよ。亡くなったものは、元に戻ることなんてないんだ。 そうだな、例えば、父さんが父さんじゃないものになっちまったら、おまえ嫌だろう?嫌だよな…。
いいか、燐、どんな終わりを選ぶのかはその生き物自身の選択なんだ。そうやって死んでいけることは、その生き物に与えられた最期の運命だ。 それを奪って違うものにしていい権利なんて、誰にもないんだよ。神様にも---------
いいか、燐、約束してくれ。もう二度と、「もとにはもどさない」と約束して、そしてできれば自分にそんな力があるなんてことは、忘れて二度と思い出すな。 その力を使いたいっていう欲望に耳を傾けるな。



そう言って養父はベッドの中でまどろんでいた自分の額に触れた。優しく撫でて、撫でられるたび、けれど、どこか切ない顔をした養父のために忘れなければと思った。



(でもなんで父さん?俺はアサガオがかわいそうでフータがかわいそうで泣いてる雪男がかわいそうで、きれいに咲いて欲しかったし元気に飛んで欲しかったし雪男には笑ってほしかった。 やさしいことのために誰かのために俺でも何かできることがあるなら、そうしたかっただけなのに、なんでダメなの。どうして父さん?なんで「何をしたんだ?」ってそんな目で俺を見るの? 父さんは俺のむこうに何を見てそんなことをいうの?どうして父さん、俺は、ただ、ただ、)








そして、15歳の春先、自分の目の前で養父は養父ではないものになってしまった。それでも選んで死んでいった。最期の最期で養父はちゃんと藤本獅郎として自分達の父親として死んでいけた。 本当にかっこいい、最期だった。















それは衣替えの始まる少し前の話だった。
燐はしえみの祖母が遺した庭で、ひたすら植木鉢の土を変えていた。手はすでにドロドロで爪間にはしっかり土が入り込んでいた。 これは切らなきゃ駄目かな、と燐はため息を吐きつつも、こういう作業は嫌いではない。何よりしえみを手伝っているという事実が少しだけこそばゆいような気持ちにさせていた。 要は少し高揚していたのだが、ちら、っと横目で見たしえみが、戸惑うことなく非常に慣れた手つきで牛の糞を水で薄めた肥料を蒔いているのをみて、若干、気持ちは落ち着いてしまうわけだが。 そういうところでとても逞しい女の子だなあ、と燐は思う。
燐としえみは二人で祓魔屋の庭の手入れをしていた。
少し前に燐が悪魔よけの門を壊したことで出会い、しえみに取り憑いた悪魔を弟の雪男と共に祓ったときから、今でも時折、庭の手伝いをすることがあった。 時折といっても出会ってまだそれほど経過していないので手伝いをしたのは数えるほどではあるが。出会った当初から実はちょっぴり人使いの荒いところがあるかもしれないしえみに、 以前、門を壊してしまったという負い目もある燐なので、しえみに頼まれれば断ることはできなかった。何より、祓魔塾に通い始めたばかりで忙しくなってきただろうしえみを手伝うこともむしろ進んでやりたかったのだ。 あの内気で自分を責めていた女の子がどんな形であれ前進してくれるのはいいことだ、と燐は思っていたし、しえみも以前のような異様な執着を持って庭を手入れしているわけではなかった。 ただ、育ててきた植物を愛でるために。祖母への負い目も自分への責苦もなく、以前にも増して愛おしそうに植物を手入れする少女の姿は、年頃の燐の胸をくすぐる何かがあるのも確かであった。
「しえみーこの花は植えていいのか?」
「うん、お願い、それは日当たりのいい場所に置いてあげて」
今庭に溢れるのは初夏を彩る花であった。燐が手入れをしていたのはガザニアという丸くて黄色いかわいらしい花である。それを燐は日当たりのいい花壇に植えていく。 燐は意外に器用なのでガーデニングのやり方も一通り教えてもらえればなんなくこなすことができた。祓魔屋の庭にはこのような観賞用の植物の他にも、 もちろん祓魔の効果がある薬草も多く植えてある。燐にはどれがどれやらさっぱりで、未だ悪魔薬学のテストで三分の一の点数も取れた試しがない。
次のテストではそれなりに点数あげないと雪男の小言が煩いだろうなあ、とそんな憂鬱なことを考えながらガザニアを花壇に植えていくとき、 ふと、燐は花壇の隅で枯れかけている花があるのに気付いた。
「なあ、しえみ、この花枯れてるぞ」
「え、あ、プラティさんが?」
え、なに?ぷらてぃさんって誰?
怪訝そうな顔をした燐に気付いて、しえみは、ええっと違う違うの!とあわあわしながら、
「き、キキョウ、キキョウっていうお花!」
しみえは慌てた様子で(一応ちゃんと手は洗ってから)花壇に駆けつける。
「じゃあ初めからそう言えよ…また変な名前つけたらテストで減点だぞ…」
先日の植物にオリジナルの名前をつけてしまうためバッテンだらけだった答案用紙を思い出してしえみは、しゅん、と項垂れる。
そして、 燐の言ったキキョウという花は花壇の隅で、蕾のまま茶色くしおれていた。緑色の葉には何やら虫に食われたような痕が見られた。
「やっぱりダメだったね…お花が咲く前に病気になっちゃったの…」
しえみの白くて小さな手が、しおれたキキョウの蕾に触れた。哀れむようにそれを撫でていく。蕾になるまでは育ったのにそこから病気になってしまい、 できる限りのことはしたのだが結局よくならなかったのだそうだ。
「そっかあ、残念だな…でもキキョウって秋の花ってイメージだったけど?」
「うん、すごく残念だね…ああ、最近では品種改良が進んでて初夏に咲かせることも多いの。…でも咲く前にこんなことになっちゃったから…」
睫の長い大きな目が悲しそうに伏せられた。
「そうだな、かわいそうだよな…花が咲く前に枯れるとか…」

飛び立つ前に、死んでしまうとか。

ふと。そんな言葉を頭の中で囁かれた気がした。

「キキョウの根はね、薬になるんだよ。咳や痰にも効くし、止血や排膿にも効くの。…祓魔師の人達には魔障で内臓を痛めたり、 怪我をする人も多いから、祓魔用の薬草だけじゃなくて、 こういう怪我に効く薬も用意してたりするんだよ」
しえみの言葉に我に返ったが、しえみは名残惜しそうに枯れてしまったキキョウを見つめている。
「怪我に効くのか…そうか、雪男もこういうの必要だったりするのかな」
幻聴のようだった言葉を振り払うかのように、若くして祓魔師をしている弟のことを思い出した。
「そうだね、雪ちゃんは医工騎士だから、こういうのは特に必要かも」
燐は、ふーん、と指先でキキョウをいじりながら旧男子寮の602号室、雪男のスペースの方を思い出す。確かに雪男の机には普段から乾燥させた何かの根っこや薬草などが置いてあるし、 作りかけの薬品に見えるものも多くあった。あれらを雪男は医工騎士として使用するのだろう。怪我をした他人のために、そして、時に自分の怪我に使ったりするのだろうか。
「しえみはこれを雪男に渡したかったのか?」
「え、え!?そ、そんな、そんなことじゃないよ!ただその〜薬として!うん、それだけなの!」
真っ赤になってしまったしえみをみて、こいつは何か勘違いしたんだろうな、と燐は察する。自分は薬として渡したかったのか?という意味で聞いたのだが、 大方雪男に花を贈ることを想像してしまって照れてしまったのだろう。 まったくあいつも罪な男ってやつだな、とちょっとした嫉妬心が沸き起こるのだ。
「でも、本当に、雪ちゃんにも使ってもらえたらいいかな、って思ってたんだけど…」
けれど、切なそうに微笑む少女に沸き起こるのは純粋な愛しさと、そして、今も任務へ向かっている弟を案ずる気持ちであった。
雪男が怪我をして帰ってきたのを見たことはない。けれど、祓魔師だということを自分に隠していた時も、そして今も、 雪男はちょっとした怪我なら隠していたりしていたんだろうか。 そうだろうな、と燐は思う。あれはそういう意地っぱりで真面目な弟なのだ。そう考えた途端、自分の中に湧き上がるのはちょっとした寂しさだった。
「そっか、…なんか、しえみ、ありがとうな」
「え、なんで…私は別になにも…」
もとより人見知りが激しく、人にこうして直接お礼を言われることにも慣れていないのだろう。しえみは白いまろやかそうな頬を真っ赤に染めた。
「いやでも本当にさ、あいつあんまり自分のこととか言わねー奴だから、誰か気にかけてくれる人が必要だよな、って思うときあるんだよ。だから、しえみがそういうこと気にかけてくれてるんなら、俺もうれしいな」
茶色くしおれたキキョウを指先で撫でた。水分を失ったそれは、ぱさり、と渇いた感触を指に伝える。それが、ふと。昔、拾って死に掛けていた梟のヒナの羽の感触を思い起こさせた。
「…燐は、やさしいね」
そして、しえみはまだ頬を赤く染めながら丸い大きな目を細めて柔らかく微笑んだ。
燐はその言葉に少し照れくさくなって頬を指先でかいたが、奥底ではあまり信じてはいなかった。しえみがお世辞を言えるような子ではないのも知っているけれど、そうではない何かが、自分なんてやさしくはないんだ、と思わせる何かがある。 思えば、小さい頃養父も「燐はやさしくていい子だ」と言ってくれていたけれど、燐は信じたことがなかった。
人の骨を殴っただけで簡単に折れてしまうような凶暴な子どもをどうしたら、やさしい、などと言えるんだろう。
「かわいそうだけど…もう回復は無理そうだから…今日中には花壇から出してあげないと」
しえみの言葉に、ぱさぱさ、と乾いた蕾の感触が余計に哀れに感じた。その渇いた哀れな感触に、小さい頃自分のせいでからしてしまったアサガオのことも思い出した。
そうか、こいつはもう死んじゃったのか。
しえみの名残惜しそうにキキョウを撫でると、自分の作業に戻っていった。いくつもの花を育て植物を愛でてきたしえみのことだ、こういう植物との別れは幾度か繰り返してきたのだろう。
少し離れた場所で、再びスコップを持って土を掘り返している音を聞きながら、しかし、燐は、じい、っと枯れたキキョウを見つめていた。 手元は止まっている。ただただ、しおれたキキョウを指先で撫でていた。
雪男ためにしえみが渡したかったもの。しえみが悲しそうな顔をしてしまったもの。
何か、頭に引っかかるものがある。
燐はそう感じていた。しかし、それが何かまるで霧に覆われたように鮮明になってこない。ただそのモヤモヤの中で浮かび上がってくるのは、小さい頃自分が枯らしてしまった雪男のアサガオと、 血を流しながら死に掛けていた梟のヒナのことだ。ちょっと懐かしいな、ああそういえば、あの梟はフータと呼んでいたっけ…と回想にふけるがどうしてか一番重要な部分を忘れているように思ったのだ。
あのアサガオにフータに、自分はどうしたんだっけ。



(もとにもどらないかな。もどればわらってくれるのに)



幼い自分の声を聞いた気がした。ふと。その囁きに耳を傾けてしまった。
これが戻ればしえみは笑ってくれるだろう、そして、雪男のためにもなるんだろうか。
は、っと我に返れば炎を出したつもりはなかったのに、自分の手がまるで血管を透かすようにぼんやりと青く染まり、その指でキキョウを撫でていた。
燐は咄嗟に指を離した。

…なんだ、今の?

どくどくと心臓が高く鳴る。そっとしえみを見てみれば彼女は何も気付いてないようで、燐に背を向けて座り込んだまま土を掘り返していた。そして、指先で撫でていたキキョウを見るが、 それは枯れたままだった。何故か、安堵のため息が漏れる。
「燐、どうしたの?」
燐の様子がおかしいのに気付いたのか、しえみが顔を上げて燐を見ていた。燐は、
「な、なんでもねえ。早いところ終わらせようぜ!」
とスコップを握って生命力に溢れる新しい花を植えていった。その横でしおれるキキョウは余計に惨めなものに見えた。







気のせいだ。そうだ、きっと、気のせいなんだ。











その日の夕方のことである。
日も落ちて、一通りの手入れが終わり、燐も帰った庭はどこか、しん、とした静かな空間となった。そこで膝をつきながら今だしえみは最後の手入れをしていた。あんまり 庭にかまうとまた母が自分を心配して怒ってしまうので、手短に終わらせるつもりだった。花壇に植え忘れていた他の花を植えていく。そして、昼間に燐と話していた枯れてしまったキキョウのことも思い出し、 残念だがもう花壇からは出しておかないと、と悲しい気持ちになりながら枯れたはずのキキョウを探した。
「…あれ?」
しかし、枯れたキキョウはどこにもなかった。代わりに咲き誇っていたのは立派に花を咲かせた、何故か普通のものよりも青みの強い、キキョウの花だけだった。 しえみは不思議に思いながら、そのキキョウを見つめていた。
「…おかしいな、確かに枯れてたはずなんだけど」
そっと手で花を包み込んでよく見てみるが、確かに昼間は枯れていたはずのキキョウが今は美しく青く咲き誇っていたのだ。何故だろう。しえみは、ふと、少し前に自分の心の隙に付け込んで取り憑いた悪魔の花のことを思い出したが、 けれど、手に包まれたキキョウからはまるでそのような悪いものを感じなかった。それどころか、やさしく、しえみの土を触っていたせいで冷えていた手を温めるように。そんな、やさしさしか感じられない。 自然としえみの瑞々しい口元が柔らかく微笑まれた。さわり。と気のせいかもしれないがそれを喜ぶようにキキョウが揺れた気がした。
「…で、でもまた何か悪魔に関するものだったら、大変だし…」
しかし、しえみは以前の件から何も学ばないような愚かな少女ではなかった。けれど、キキョウのあまりにやさしい気配に戸惑う。
「…そうだ、雪ちゃんに見てもらおう…」
そうしよう。
さわり。それでもキキョウはしえみの手をあたたかく包んでいた。
衣替えの始まる少し前のことだった。







それから少しして、しえみと塾の仲間達は燐の正体のことを知り、京都の強大な悪魔、不浄王の討伐へと巻き込まれることになる。















春というものが訪れ初めたとき、私は感じた。父上の心臓の余った肉塊である私の全身を駆け巡るものがあった。立体視も可能となった梟の目の奥で私は青く染まる世界を見た気がした。
ああ、とうとう機が熟したのだ。
私は羽毛を逆立てて、鳴いた。ずっとずっと声さえもてなかった私は、初めて得た声で歓喜の叫びを上げた。とうとう目覚めた。 この体を創った私ではない何か。私が得るはずだったものを全て得ている私の片割れ。 私の断片。私が手に入れるべきだったものを持っている片割れ。
待ち続けて、しかし、未だ空中を彷徨うコールタールとさして変わらぬほど弱い私は、初めはあまり動けなかった。それの気配はどこかでずっと感じていた。 しかし、どこかへその存在が連れて行かれたとき、ぷつり、と気配が途切れてしまったのだ。私は急がなければならない、と感じた。深い深い森の奥から、私はようやく飛び立った。 この体は小さく弱いが便利であった。夜目がよく効く。ものが立体的に見ることもでき聴覚は異常によい。羽の力も強く逞しく、自由に空を飛べた。私はそれの残したわずかな気配を辿りながら、 また何日か待った。あれの連れ込まれた場所を睨みながら、あれの気配を探り、その要塞のような建物を見ていた。あれからはまた私の片割れとも違う悪魔の気配を感じていたからである。 迂闊には忍び込めないと思ったが、弱い私はあまり気付かれずに済むだろう。そうして、私はその悪魔が要塞を留守にした隙に入り込んだ。 わずかに私を阻もうとした薄い壁のようなものは、しかし、私という異様な存在を感知できなかったのだろう。結局、簡単に入り込めた。確かに誰が思うだろう。 悪魔として生まれながら悪魔にもなりきれず、何も持っていない私など、どうして今や虚無界にも物質界にも溢れる悪魔と同じ定義で当てはめられようか。 私はただ一つの出来損ないなのである。そうして入り込んだ要塞には、しかし私の片割れもいなかった。けれど、気配は色濃く感じた。それを辿れば私の片割れの残していったものを感じ取れた。 私は中を飛びまわり、そして、その要塞の中にある薬草の匂いのたちこめたとある庭に降り立った。ここで色濃く私の片割れが残した気配がしたのだ。
青い月明かりの中、それに照らされて咲き誇っていたのは、青い星のような形をした花であった。
それは実に芳しい匂いを放っていた。私を誘惑する匂い。この体と同じく私の片割れの力の影響を受けたもの。
私は、自分がひどく未完成であることを生まれたころから知っていた。特に私の力の塊となるはずだった「心臓」はカケラほどしかないことも。だからこそ、私は、あの 片割れが欲しいのだ。
だから、私は、その片割れが残した気配に溢れるその花を、喰った。
途端、半端な私の心臓に溢れる青い力。私は歓喜してまた鳴いた。
未だ私は弱い。しかし、これで強くなれる。私は片割れが欲しい。父上に与えられるはずだった悪魔の心臓を、あの神の力を。私は欲しい。片割れが欲しい。 父上に拾ってもらうためにも。私は、成さねばならぬのだ。















2011.12.27 奥村ツインズハッピーバースデイ!
しえみの言っていた「プラティさん」はキキョウの属名「プラティコドン」からです(笑)