梟の骨 7

 

「…雪ちゃんに見て欲しいものがあるの」



雪男が、しえみから頼みごとを受けたのは不浄王の一件が片付いてから数週間後のことだった。
京都での不浄王のことで燐が勝手に牢から抜け出したことを後に知った雪男は盛大に燐に説教を食らわせたことになったのだが、 結果的に不浄王は燐の炎によって燃やし尽くされていたし、そのおかげで処刑も免れ、燐も塾のみんなと仲直りができ京都出張所の明陀の人達には感謝され、達磨の呼びかけもあって燐のことを、完全にとはいえずとも、 理解してもらうこともできた。 雪男は喜んだらいいのか怒ったらいいのかどうしようもなく、 結局胃をきりきりさせられたばかりだった。しかし、それも「みんなを助けられた」と嬉しそうに笑った燐の顔を見たらすべてチャラにさせられたような気がしてしまって、 自分も大概兄に甘いと思った。処刑寸前だった自分のことなんて二の次。塾の仲間達や京都の人達を守ることができた。みんなが無事でよかった。それだけを喜んでいた燐に対して雪男は呆れながらも、 やはり兄には敵わないな、と改めて思うばかりだった。
しえみがなにやら深刻そうな顔で雪男に頼みごとをし、祓魔屋の庭まで案内したのはその数週間後、祓魔塾の授業が終わってすぐのことだ。
「ほ、本当は、すぐにでも雪ちゃんに言わなきゃって思ってたの…」
何やらしえみは焦った様子だった。いつもしとやかに歩くその姿は自然と駆け足になっていて、雪男も歩幅を広げて彼女の細い背中を追う。
「でも…燐のことや京都でのことで…ずっと燐と雪ちゃんとは気まずかったし…ううん、ごめんなさい、色々同時に大変なことが起きちゃったし… 京都のことが終わった後も、後片付けとかあって…すっかり忘れてたの…」
しえみが案内したのは庭の日当たりのいい場所にある花壇であった。そこは他の花壇に比べると少し荒れてしまっていて、しかし生命力の強いらしい秋の草花に溢れていた。 雪男は以前、しえみに取り憑いた悪魔の件もあるので祓魔師としての視点ですばやく花壇の草花に目を走らせたが、 それらしいものは少なくともないように見えたのだ。しかし、しえみが、ある一点を指差した。
「…これは?」
雪男は思わず身を乗り出していた。

花壇の隅には明らかに何かに食い荒らされたのであろう、草花の残骸が散らばっていたのだ。

「私が忙しい間は、お母さんが庭のこと見ててくれて…でも、お母さんも忙しいからあまりこの花壇にはかまってなかったらしいの…。私も、昨日、やっと花壇の様子を見てみたばかりで、だから…」
それまで気付かなかったの。
草も花も無残に噛み千切られ、根まで掘り返されて荒らされていた。一見すると猫かなにかに荒らされただけのようにも見えた。これだけならば何故自分を呼ぶほどのことなのか、と疑問に思ったかもしれないが、 二年祓魔師として悪魔を見てきた雪男には、それだけではない、何か異様なものを感じ取ったのである。 あからさまに何かあるわけではない。悪魔の気配を感じるわけではない。しかし、それ以上の異様な気配を感じるのだ。
「…しえみさん、ここには何が植えてあったんですか?」
念のため手袋をはめてから、食い荒らされて散らばった草花のカケラを指に取り、硝子ケースの中に入れる。しかし、調べても無駄であるように思えた。
「…キキョウの花が、」
何故かしえみの声が震えているようだったので、花壇から顔を上げればしえみはきゅっと唇を噛んでいた。
「…き、きれいな、普通のより青みの強いキキョウで…で、でもおかしかった…」
「…おかしい?」
こくん、としえみは頷く。
「…枯れてたはずなのに、どうしてかわからないけど、咲いていて…。…ずっと何も変わらずにそこに咲いてて。ずっときれいなままだった」
その言葉に雪男は、やはり悪魔が取り憑いた草花だったのか、と疑ったが、
「しえみさん、以前にもここに悪魔が入り込んでいたことがありましたよね。そのキキョウは、」
「ううん、前みたいなことは全然なかったの。話しかけられたりとか、そういうことは全然なかった。ただ、きれいに咲いてて…何故かあたたかくて」
そう言ったしえみは一瞬、口元が微笑んだようだったが、しかし、それ以上の不安に襲われているのか両手をぎゅっと握っていた。 雪男もしえみの言葉に何か言い知れぬ不信感が沸き起こるのを感じた。しかし、まるでその正体がつかめない。自然と眉間に力が入った。 散らばったキキョウの残骸だというものを残らずケースに入れる。
「可能性があるとしたら、やはり悪魔絡みでしかないですが…。でも、しえみさん自身に何も被害がないようでしたら大丈夫でしょう。念のため女将さんにも変わったことがなかったか話を聞きますから 」
しえみを安心させるように微笑めば、何故か、しえみは少し頬を赤くした。わかったお母さんも呼んでくるね、と慌てて祓魔屋に戻る背中を見送って、雪男はしばらく何故かキキョウだけが荒らされたという花壇を見た。
心の隙に囁かれたわけではない。
何か悪さをするようなものだったわけではない。
明らかな悪魔の気配があるわけでもない。
それどころか美しく咲き誇って、異様なほど長く美しいままでいたという。
しかし、だからこそ姿の掴めない異様な気配があって、それは姿形のはっきりした悪魔よりよほど人の猜疑を煽るものなのかもしれない。 やはり悪魔である可能性は高いだろう。こんなにも輪郭のぼやけた悪魔も珍しいけれど、しえみの呼び出す緑男のように人の力になってくれる悪魔もいるぐらいだし、 そのキキョウにもその類のが憑いていただけ、であるといいんだが、しかも悪魔の類だとして何故こんな風に食い荒らされてしまったのか。 雪男の疑念を一番強く突き動かすのはそこだ。普通ではなかったらしいキキョウを捕食したものもまた普通ではなかった可能性は大いにある。 例えば悪魔が悪魔を捕食することは実は珍しいことではないがそれにしては奇妙だな、と雪男は手袋を外しながら考えた。
その時、少しあれた花壇の雑草の中に落ちているものに気付いた。なんだ、と思って手に取ってみるとそれは、
「…鳥の羽?」
白と茶色の混じったやわらかい羽が一枚、落ちていたのだ。雪男はくるくるとそれを回して眺めてみたが別段、変わったところはないように見えた。なんの鳥の羽かまではわからないが、 しかし、どこかで見たことがあるような。
どこでだっただろう。
気のせいかもしれないが今は思い出せそうもない。雪男はその羽も念のためケースにしまった。悪魔が痕跡を残した現場では怪しいと直感的に思ったものは全て調べておけ、 という獅郎の教えの賜物だった。
その間にしえみが戻ってきていて、女将さんには話したので一旦売り場に戻ってきて欲しいとのことだった。
「あ、そういえば…」
様々な祓魔用の薬品や用品が並ぶ売り場へ向かう途中、しえみは思い出したように呟いた。
「あのキキョウ、燐も気にかけてくれてたの」
「え、兄さんが?」
思わぬところで兄の名が出て雪男は目を丸くした。
「うん、あの頃は燐もよく庭のこと手伝ってくれてたから。枯れたキキョウを見て、かわいそうだな、って、やさしく指で撫でてくれてたよ。あと、雪ちゃんのことも心配してた」
何故、その時そういう話になったのか雪男にはさっぱりわからないが、あの能天気な兄が自分の身を案じてくれてたことがあったのか、と思うと雪男はこそばゆいようなどうも居心地の悪いような気分になった。 しえみさんの前で何を言ったんだ兄さんは、と。
「燐って本当にやさしいね」
以前も言った言葉をしえみは再び笑顔で雪男に告げた。燐の正体のことそれによって生じたすれ違いのことそして京都での不浄王討伐のこと。短い間に色々あって怒涛のように日々は過ぎていくし、 燐の処刑は完全に撤廃されたわけではない。数ヵ月後の祓魔師認定試験に受からなければ処刑されるのだけれど、今は仲間達に支えられ燐なりに精一杯努力している。 先のことを思うと不安や絶望にさえ捕らわれそうになるが、それでも燐の周りに少しずつ彼のやさしさを理解してくれる人達が集まるようになってくれて本当によかったと雪男は思っていた。 兄の燐は、やさしい。残念なことに本人は未だに周りにいくら言われようとそれを信じない節があるのだが。
「そうですね。兄は、本当に、」

瞬間。雪男は幼い頃のことを、何故か思い出した。

「………」
「雪ちゃん?」
突然動きをとめた雪男を振り返るしえみに、雪男は瞬きをしながら、いえなんでも、と呟いた。
「…兄は、そのキキョウが枯れたときに花壇のことを手伝っていたんですよね?」
「…うん、そうだけど」
しえみが首をかしげた。雪男自身も何故そこに引っかかるのかよくわからずにいた。
昔のことを、思い出したからだろうか。
あれは確か、小学校二年生の夏休みの時。あの時、枯れたといっていたアサガオが、燐が枯らしてしまったアサガオが、何故か、綺麗に咲いていたという出来事があった。 ちょうどしえみが先ほど話したキキョウの話と似ていやしないか?
「ゆ、雪ちゃん…本当にどうしたの?」
黙りこんでしまった自分を心配するように眉をよせるしえみを、無駄に不安がらせることはないと思い、
「いえ、本当に、なんでもないですよ」
と答えた。そして雪男自身も、考えすぎかな、と思おうとしたが、何故か、あの青く美しく咲いていたアサガオのことが記憶から蘇えり頭から離れてくれなかった。











「よう、ビビリーいま終わったのかー?」
どしん。と背中に感じる重みとむにゅっとした柔らかい感触。雪男はしかし慣れきったもので、
「重いですよシュラさん…お酒の飲みすぎじゃないですか、おつまみ食べながら飲んでると意外とカロリー取りますよ」
と心底うんざりしたように言うと、ぱしん、と頭を叩かれた。いてえこの女何をしやがる、と内心悪態をつきながら叩かれた後頭部をさする。シュラはつまらなさそうに とりあえず背中から離れた。できればもう一生くっつかないで欲しいのだが。
「ったくおまえもお堅いねーこおんなセクシィな18歳のおっぱいを前にしてカロリーがどうのってよ」
誰が18歳だ、誰が。言葉に出さずにつっこむ。赤い髪をポニーテールでまとめ、相変わらずサイズの合っていない下着(たぶん見せてもいいやつというかそうでなければただの痴女だ)からはみでる豊満な胸をわざとかというほど強調させている。 そんな一般的な視点から言わせればまあ確かに色気のあるという格好とスタイルのシュラだが如何せん、本人自身にはあまり色気がなかったりするのである。むしろどこかおっさんくさい。 その証拠に、塾が終わったばかりの時間だというのにすでに酒の匂いがした。雪男は顔をしかめる。確かにしえみの頼みがあって祓魔屋によっていたからすでに時刻は九時を回っていたが、 一体どこで飲んできたんだこの人は。
「…それで何の用ですか?手短にお願いします」
「ほおんとつれない男ーノリの悪い子はモテにゃいよ」
「…では、さようなら、また明日」
「おいおいちょっと待てって、任務の話だよ」
去ろうとする雪男の首根っこを掴んでそんなことを言う。雪男は、はあ?と思わず声を上げてしまった。
「今からですか?」
「おう、今から」
別段珍しい話ではない、悪魔は夜に活発になるので日が暮れてから緊急の任務が入ることは日常茶飯事だ。しかし、雪男はしえみの件が終わってから兄に「これから帰るよ」と電話を入れたばかりだった。 きっと兄は夕飯を温めて待っていてくれているのに。そういうことも最近珍しくないことなので別に燐は怒らないだろうけれど、雪男自身が燐に申し訳ない気持ちにはなる。 特に今日は兄に聞いてみたいことがあるというのに。
しかし、任務ならば仕方ない。
「わかりました…現場はどこですか?鍵を使っていける場所ですよね?」
「それがさー…」
ううん、と腕を組むシュラにまさか急な遠征にでもなるんだろうかと思うとため息が出てくる。しかし、シュラは、ぴ、っと人差し指を自分たちの足元に向けた。
「…その現場がこの要塞みてーな学園内なんだ」
「…え?」
にわかには信じられなかった。だってここはメフィストの結界で中級以上の悪魔は入り込めないはずなのだ。ならばあるとしたら中級未満の下級悪魔によるちょっとした被害しか考えられない、という 雪男の思考を読んだかのように、シュラはぶんぶんと首を横に振る。
「アタシもまだ実際に見てないんだけど…」
「…一体何が」
起きたんですか?と皆までいう前に、シュラは、
「なあ、ビリーおまえ夕飯まだ食ってねえよな?」
と意味不明なことを聞いてくる。まだに決まってるだろうおまえが引き止めたから、という非難の目を向けてやればシュラは、それならいい、と肩をすくめた。
「たぶん、見たら、吐く」
「…え、」
シュラは己の豊満な胸、その左側のものをつんと指で指し示した。そこがどうしたというのだろうか。見ろという露出狂的な提示ならば今度こそ逆セクハラで訴えてやろうか、と雪男が怪訝そうな目つきでシュラを見やっても、 シュラは珍しく少し深刻そうな目つきだった。下睫の長いタレ目が、どこか鋭い印象だ。
「…シュラさん?」
「…ここをな、取られた悪魔の死骸が見付かったらしい」
ここ、と左胸を指し示す。そしていきなり死骸という言葉。雪男は目を見開いた。
「…ここって」
「心臓だよ、心臓」

心臓だけをごっそり食い荒らされた鬼(ゴブリン)の死骸だ。

「……」
「塾の授業用で使うために檻の中にいたやつらしいんだが…。とにかく現場へ行くぞっつても走ってたったの5分の現場だよ」
そうして颯爽と踵を返すシュラの背中を数秒見た後、雪男は我に帰り慌ててその背を追った。すでに夕飯を食べれそうにない予感とそして、兄に聞きたかったことも頭から吹き飛んでいた。















2011.12.29