梟の骨 8

 

ケータイから送られてきたメールの内容に燐は、ちぇ、と軽く舌打ちをした。旧男子寮の厨房、元は学生食堂だったテーブルとイスの並ぶ広めの空間。 その中でいつも燐と雪男が使っているテーブルにはすでに二人と一匹分の食事が並べられていた。夏が終わり、秋の気配も深まっているこの頃、 せっかく秋っぽく鮭とキノコのクリーム煮を作ったのだが。今しがた届いたメールには、急な任務で遅くなりそうだから先に食べてて、という文章が綴られていた。 別にこの年になって弟と食事を食べれないのが寂しいというわけじゃないと思う、たぶん。それでもちょっとだけクリーム煮が冷たくなったような気がしてしまう。 温めたばかりなのにな、と燐はため息をついて雪男の分はラップをかけておいた。帰ってきたら温めて食べてもらえばいいか。メールで簡単に、お疲れさん帰ったらテーブルに晩飯あるからあっためて食べろよ、と返信しておく。 別に珍しいことではない。旧男子寮で同室になる前、修道院で暮らしていた頃だって雪男は帰りが遅いことが多かった。あの頃は塾があるだのなんだの言っていたが、今から思えば祓魔師の任務に出ていたからなのだろう。 思えば何かと理由をつけて、同時に養父も一緒に出て行くことが多かった。中学生の頃の雪男に対しては病弱をいうイメージがまだ強かったので、遅くまで勉強する雪男がなんだかんだで心配なのだろう、と思っていたのだが。 あの時の俺は呑気だったなあ、と自分のことながら呆れる思いだ。
そうやって思えば中学の頃からすれ違っていた。弟がずっと自分に隠していたことを知った今でも、こうして時間的なすれ違いは多いけれど、それでも、何も知らなかった頃よりは同じ道の上を歩いているのだろうか。
足元で、にゃん、とクロが鳴いた。はやくごはんー、とかわいい牙を覗かせて口をあけている姿が間抜けだがかわいい。燐は苦笑しながら、クロの皿に鮭を多めにクリームシチューを注いでやった。
そうして、いただきます、と一人と一匹で食事が始まる。
ちょっと前まで監視役がいなければ単独行動もできなかった燐だが、不浄王の一件でその辺は大分緩和された。それでもそれは旧男子寮や学園の限られた内部でだけ単独行動ができるというものだが。以前は雪男がどうしても寮にいられないときは、 修行の指導の元、シュラが監視役をしていた。なんだかんだで、雪男とシュラは監視役という名目以外でも燐を一人にさせないという気遣いがあった気がする。それは 単純に目を離した隙にすぐにどこかへ突っ走ってしまうという燐の性格を危ぶんでいたとも捕らえられるが、それでも一人にされないことは実はうれしかったりもしたのだ。 しかし、今こうして一人でいや一人と一匹で食事をしているということは、おそらくシュラも任務に駆り出されているのだろう。雪男と同じ任務なのだろうか。 そう思えば、一人と一匹の食事も、自分の片割れの気配がないこの広い寮もあまり寂しくはない気がした。
雪男にはそういう人が必要だ。
雪男自身は頑なに認めないが、あれでもシュラは堅すぎる雪男のいい和み役になってくているのだ。いや、和みは言い過ぎか、もっとこうリラックスさせてあげられるような、 そんな存在かな、と鮭を口に運びながら燐は考える。雪男が聞いたら、冗談いうな!と怒るかもしれないが、傍から見ている燐にはわかるのだ。嫌がりながらもこっそり悪態つきながらも、 シュラと絡んでいるときの雪男はそれなりに年相応の顔を見せることがある。そう、嫌がったりちょっと悪態ついたり。そういう普段は見せないところを露にできる。 それが雪男にとって必要なことなのだと、燐はよく理解していた。だから、雪男にはそういう人達が必要なのだ。
何故、燐がここまで雪男の周辺にこだわるようになったかというとそれには理由があった。
雪男に対する藤堂の悪魔堕ちへの誘い。
雪男の口から聞いたわけではないが、燐は、不浄王の件の裏で雪男の身に起きたことをシュラから聞いていた。 最も、シュラも志摩廉造の兄である柔造から雪男に少し聞いただけだという話を聞いただけだそうなので、詳細はわからないし、雪男もきっと話さないだろう。事実、 結局これまで雪男は何も話してはくれなかった。しかし、話してくれないということは雪男の中でそれは完結しているか結論を出したことなのだろう。ならば燐もあえて聞こうという気はない。
兄弟の間に必要な距離感というものを燐は無意識に理解している。何もかも話すわけじゃない。自分で解決できそうなことや自分の中で完結していることなどを、あえて話して何もかも知ってもらおうとするようなべたべたした兄弟観は、少なくとも燐と雪男の間にはないし、 燐自身も自分の中で完結してしまったことは雪男には話さないことが多い。それは面倒だからとか心配かけたくなからだとか、そういうものない。 自分の片割れともいうべき身近な相手。世界で一番近い相手。だからこそそこには作るべき距離が必要で(これは燐と雪男に限ったことかもしれないが)、それがなければきっと血も距離も近すぎて何かが見えなくなったり、 おかしくなったりするのだろう。おそらく、そういう無意識から燐と雪男の「兄弟で必要な距離感」は出来上がっている。燐も雪男も無意識に。あるいは意識して。
兄弟だからこそ、近すぎるからこそ距離というのは必要で、だからこそ踏み入れることのできるものもあれば、踏み入ることもできないものもある。
燐は、昔から人とは違っていて、だから孤立することも多くて、中学ではちょっぴりグレて、自分で一人を選んでいた。けれど、こうして高校に入って塾に入ってから、仲間ができて。 自分の正体のことで一時は気まずくはなったけど、不浄王の一件以来、本当の絆を結びつつあると感じている。
けれど、雪男はどうだろうか。
藤堂に何を言われたかはわからない。どのようなところで藤堂が雪男が悪魔堕ちする素質があるのだと踏んだのか、それすら燐にはよくわからない。燐の中ではひたすら雪男は真面目で優しい弟でしかなく、そこに潜んでいたのだろう、 闇を知ってはいないからだ。そして燐は自ら人を捨て悪魔に堕ちる人間というのを理解できる気がしなかった。燐は人でありたかったからだ。異常な力を自覚していた幼い頃から、 周りから悪魔の子と陰口を言われながら、養父である獅郎に、おまえは人間だ、と言われて安心していたことがなにより燐が人でありたかったことの証明であった。 けれど、燐は人でもなくまた悪魔にもなりきれない存在になってしまった。人でありたかった。幼少の頃よりは強くそれを望んでいるわけでもないが、 それでも、ふと、した瞬間にそう思うこともある。だから燐自身、この夏を越えてそれを自覚したとき、おそらく自分ではダメなのだろう、と考えた。
雪男を笑顔にさせて喜ばせることが、きっと自分にはできない。その中にあるのだろう闇を祓うこともきっとできない。 いつも心配ばかりかけさせているし雪男の負担も眉間のシワも自分が増やさせているようなものだ。 だって自分はもう人間でも悪魔でもないものになってしまった。だから、何か他のもの他の誰かでないと。ちゃんと人間である人達でないと。
そう、だからそれはシュラでもいいし、衣替えの少し前、常に雪男のことを気にかけてくれているようだったしえみでもいい。
雪男にはああいう人達が必要だ。自分はもう充分仲間ができたから、今度は雪男がそういう大切なものを見つけてくれればいい。
雪男の隣に自分がいても、雪男に必要なものは引き出してあげられないだろう。
ふと。小学校二年生の夏休みを思い出す。あの頃、雪男はよく笑っていてくれた気がする。何が雪男を笑わせていたんだろうか。ああ、思い出した綺麗に咲いたアサガオとかわいい梟のフータだ。あの時でさえ、 雪男を喜ばせることができたのは自分ではなかったじゃないか。

あれ?そういえば、あの時、俺は、アサガオとフータにどうしてやったんだっけ?

(ねえねえ、これなら雪男も泣きやんでくれるかな!俺のこときらいにならないでいてくれるよな!)

(ね、ね、元気になっただろ!これならゆきおも、もう泣かないだろ!)

最後のクリームシチュー、スプーン一匙を口に入れて飲み込んでから燐は、昔の回想に耽りそうになったが、足元でクロがおかわりをねだったことで、すぐに雲散してしまった。
そうだ、もんもん考えながら飯なんて食べてると碌な考えは浮かばない、もうやめだ。そう思っておかわりをねだるクロに、また鮭を一切れ。その上にクリームシチューを少しかけてやる。クロは喉を鳴らしながらそれを食べた。

そうだ、 気のせいだ、そうだよな。 あのアサガオは雪男が一生懸命育てたからきれいに咲いて、フータはなんとか一命を取り留めて立派な梟になって自由に飛んでいったんだ。

俺はきっと、何もしていない。







(なんで父さん?俺はアサガオがかわいそうでフータがかわいそうで泣いてる雪男がかわいそうで、 きれいに咲いて欲しかったし元気に飛んで欲しかったし雪男には笑ってほしかった。 やさしいことのために誰かのために俺でも何かできることがあるなら、そうしたかっただけなのに、 なんでダメなの。どうして父さん?なんで「何をしたんだ?」ってそんな目で俺を見るの?父さんは俺のむこうに何を見てそんなことをいうの? どうして父さん、俺は、ただ、ただ。--------------- 俺はやっぱりおかしいの? 俺はやっぱり悪魔の子なの? …父さんの言う通りにしていれば人間の子どもでいられるの?………… そうだよね、人間の子どもが何か「もとにもどせる」わけないんだよね。 そうだよね、きっとぜんぶ、気のせいだったんだ。ぐーぜん、だったんだ。俺が雪男をよろこばせて笑わせたなんて、ぜんぶ、きのせいだったんだ)















足りない。
まだ足りない。この程度の悪魔の心臓ではやはり私の糧にはならない。しかし、今はこれしかないのだ。あの片割れの力を私のものにするためにも、私はあれを呑み込める「体」を作らなければならない。 あれの治まるカラの心臓を。私は弱い悪魔が憑依したものに私の体をからみつけ爪で抑え付け閉じ込めてからくちばしでその弱い心臓をえぐった。そのまま呑み込めば、それは私の糧となる。 わずかにだが糧となる。父上のカケラほどしかない私の弱い心臓に仮初の肉をつけていく。そうして充分に膨れ上がった私のこのカラの心臓に、 私は私の片割れを、私が得るはずだった力を、元の場所へ孵すのだ。











2011.12.31 よいお年を!