Keloidal

 

奥村先生はみんなの憧れで、塾にいる仲間達の中にも将来は奥村先生みたいな祓魔師になりたいという人もいる。先生のように祓魔師をやりながら医者になるんだ、と 妙に自信過剰なその子をみんなからかって笑っていたけど、何故か私は笑えなかった。
あれから私は先生という人を見る目が、以前とは変ってしまった自覚がある。私だって先生に憧れていた。私だって先生のような祓魔師になって…お医者さんは無理かもしれないけど、 医工騎士だって希望している。でも、先生の「お兄さん」の存在を知ってしまってその「お兄さん」の優しい目を見てしまってから、先生の笑顔の中に隠れる残酷さに私は少しずつ気付くようになってしまった。
それは丸くふくらんで、膿みがたまっていくみたいに。







昼休みの残った時間を利用して図書館で本をめくっていた日のことだった。
学園の図書館にも祓魔師にとって役に立つ本はたくさんある。最近の私は悪魔の歴史学ばかり読んでいた。主にサタンに関する少ない記述を探している。 先生に余計な詮索はしないように釘を刺されたようなものだけど、それでも私は気になっていた。自分で自分を納得させる範囲ならいいんじゃないかと思って、 あれから色んな本を調べている。
色々な種類の本があるけど、どれもこれも、 5年前のサタン消滅のことに関して、怪我人や死者がいたかどうかの記述がないのだ。あるいは本当に一人も怪我人も死者もでなかったのだろうか。そんなことってあるんだろうか。
ふと、忘れようとしても忘れられない、あの酷い火傷の背中を思い出す。
先生は、「お兄さん」が怪我をして引退したのは5年前だといっていた。
原因の怪我というのは間違いなくあの火傷のことだと思う。5年前。サタンと騎士団が最後の死闘をしたという日も5年前。同じだった。そしてサタンの落胤で青い炎を継いだという「お兄さん」。
先生は当時その騎士団にいて本当にサタンに留めを刺したのは先生なんだ、とか。 先生を何でもできる神様みたいに崇める生徒達はそういう話をしていることがあって。それは若い世代の祓魔師達の間にも流れている話。
私も少し前まではそうなんじゃないかって思っていた。先生に対して盲目的だったから。でも、今から思い返してみればこういう質問を受けたときの先生の目って、どうだったろうか。
口元では穏やかに笑う反面、酷く冷たくて憎しみさえこもったような恐い目をしていなかっただろうか。
思い出したらなんだか寒くなって私は本をばたんと閉じると、本棚に戻しておいた。何故かこれ以上調べる気になれなくて、お昼休みも残り15分ほどしかなかったので教室に戻ることにした。 でも次は「体育」だ。更衣室で着替えなきゃいけない内容だったから、私は休むつもりでいる。学校の先生には体調が悪いとでも言っておこう。

そう思って教室にいくために中庭の見える外の廊下まで出たとき、緑の芝生が眩しい中庭で、もう衣替えの時期だというのに分厚いパーカーとフードまで深く被って紙袋を持った、男の人を見つけた。

男だと思ったのは肩幅が広めで背が高かったからだ。後ろを向いていたので顔はわからなかったけど、そのパーカーを着た人はあきらかに挙動不審で、うろうろ、していた。
私はぎょっとして、その不信な人を立ち止まって見てしまっていた。
どうしよう、あれ不審者ってやつなんだろうか、学校の先生を呼ぶべきなんだろうか、とちょっと恐くて遠巻きにしていると、そのフードを深く被った人がこっちを見た。

深く被ったフードの中には包帯を巻いた顔が、ちらり、と見えていた。

「君、そこで何をしているんだ?」
はっと気付くと、いつの間にか私の隣にいた警備員の人がいかにも警戒した様子でそのパーカーの男の人を睨んでいる。なんか悪い人をぶつときの棒みたいなのに手をかけていて、 男の人は、びくり、と肩をすくませていた。少し後ずさる。それを追おうと警備員の人が駆け出すより前に私は走ってその人の腕を掴んでいた。

「私の知り合いなんです!ちょっとお話してくるので行きますね、気にしないでください!」

それだけ後ろの警備員さんに叫ぶと私は戸惑う様子の「お兄さん」に構わず、人目につかない塾の近くの中庭まで引っ張っていった。







危うく不審者として捕まるところだったその人は思ったとおり奥村先生の「お兄さん」だった。
走ったので少し上がる息を整えていると、「お兄さん」は私以上に疲れたのか、ぜいぜい、息を上げながら中庭にある(ちょっと趣味の悪いライオンの)噴水の淵に腰掛けた。
胸に手を当てて息を整えようとするその様子が痛々しかった。走るの苦手なんだろうか。もしかしたらあの酷い火傷に響いたのかもしれない。
「あ、あの…」
心配でお兄さんの顔を覗き込めば、やっぱりぐるぐる包帯を巻いた顔。青い目はきつく閉じられていて、包帯の表面に脂汗みたいなのが浮いていた。私は慌ててハンカチを差し出す。 薄い水色のクローバーの刺繍が入ったハンカチはお気に入りのものだったけど、構わなかった。
「……!?」
お兄さんはハンカチを差し出されて、びっくりしていたけど、すぐに柔らかく目を細める。その目はあの雨の日、私を安心させてくれた目と同じだった。 何故か頬が熱くなってしまう。お兄さんは、ぺこり、とお礼のつもりなのか軽く頭を下げるとハンカチを受け取った。
「あ、り…が……と」
たっぷり10秒ほどかけてお兄さんはそう言った。私は思わずぶんぶん首をふると少し距離をあけてお兄さんの隣に腰掛ける。
お兄さんはもう息は落ち着いていて、じ、っと何故か私を見つめていた。
「あ、あの…」
覚えているんだろうか、私のこと。と私は思ったけどお兄さんはちゃんと覚えていてくれたらしい。
「け、が」
「…え?」
何のことかわらかずきょとんとしていると、お兄さんはゆっくりと身振り手振りで話しかけてくる。
「けが、もう、…へーき、か?」
ああ、と私は声を上げた。あの雨の日に受けた腐の魔障はもう平気かという意味らしい。
「…も、もう大丈夫です…」
「そ、」

よかった。

キラキラ輝く青色を見て、私は何故か、胸が締め付けられた。

「…あのときはありがとうございました……あとあの後…私…」
先生には謝っておいてくださいって頼んでいたけど、やっぱり私はもう一度謝りたくて頭を下げた。
「ん………?」
礼なんていいそれに気にしなくていいよ、と言うようにお兄さんは首をかしげる。それがとても幼く見えた。実際は包帯を巻かれたその顔では年齢もよくわからないのだけど、 先生と双子というのだから25歳で間違いないだろう。でも何故か、全体的に幼いような雰囲気があった。まだ15歳の私に言われたくないかもしれないけど。
「な、ま、え」
ぼうっとお兄さんを見ていると唐突にそういわれて私はなんとなく居住まいを正す。そしてどきどきしながら自分の名前を教えた。お兄さんは潰れてしまっている声で何度か私の名前を繰り返して、 覚えた、と親指を立てる。それが余計に子供っぽくてちょっとおかしかった。
「おれ、…りん」
今度は自分を指差して自己紹介。そう、奥村先生のお兄さんは「りん」というそうだ。漢字はわからないけど、お兄さんは噴水の水で指先をぬらして淵の部分に漢字を書いた。 ……正直、汚い字だったので読みにくかったけど漢字は「燐」になるらしい。私は自分の名前の漢字も同じように教える。「燐」さんはわかったといって、くすりと、笑った。
「あの、お兄さん…」
「…りん、で……い、い」
「…はい、あの燐さん?なんであんなところでうろうろしてたんですか?」
自己紹介も終わって大分打ち解けてきた(?)ところで、あんなところでうろうろしてた理由を聞いた。燐さんはバツが悪そうに、あー、うー、と呻る。呻りながらそういえばずっと 持っていた紙袋をごそごそ探り、そこからなんとお弁当箱を取り出したのだ。
それを見て、私は、ああ、と納得した。
先生はいつも「兄さんが作った」というお弁当を持ってきている。どうやらあの話は本当だったみたい。
「ゆき…ぉ……わすれて、……った」
困ったように目を細める燐さんが25歳の人なのになんだか、かわいくて私は笑ってしまう。燐さんはきょとんと目を丸くしていた。どうやら先生がお弁当を忘れていったので、 学園まで届けにきたらしい。先生は昼間はお医者さんの仕事をしていてあまり学園にはいないけど、そういえば今日は昼間から祓魔師の仕事が学園であるらしく朝からいると聞いていた。 燐さんもそれを知っていてわざわざ学園まで届けに来たんだろう。
「ん…でも、なんか、こーしゃ、とかかわってて…迷った…」
この学園は最近になって塾の場所も移動していると聞いているし、新校舎も建てているので燐さんがいつの頃までの学園の様子を知っていたのかはわからないけど、でも様子の変っていた学園内で祓魔師の講師の職員室がわからなくて、うろうろ、してしまっていたということだ。 塾へと通じる鍵も昔は持っていたらしいけど、今はないんだとも言っていた。
そこまで燐さんがなんとか話し終えてからちょうどお昼終了の鐘が鳴ってしまう。あーあ、と燐さんはがっかりしていた。 今更先生を見つけてもあの多忙な先生だからもうお弁当を食べている時間はないだろう。 でも手元のお弁当がもったいないのか、どうしよう、と見つめていたと思えば、なんと、 私にお弁当をずいっと差し出してきた。
「お礼」
どうやら警備員さんから救い出したお礼ということらしい。
「え、えええでも!?」
当然、私は戸惑ったけど、にこにこ、微笑んでいる青い目を見ると断るのもダメな気がしていて、どうぜ体育の授業は休むつもりだったので受け取っておいた。…決して食い意地が張ってるわけじゃない。 お昼は図書館で調べ物したかったからパンひとつかじっただけだったし、うん。
それにお弁当からはとてもいい匂いがして、…私はお礼を言ってから誘惑に逆らえずさっそく中身を空けた。
「うわあ!」
と思わず声が出てしまうぐらいそれはそれはおいしそうなお弁当だった。メインの揚げものは魚のフライなんだろうか、見ただけでさっくりキレイに揚げてあるし、 具だくさんのポテトサラダとか、いい香りのするハーブもお手製らしいドレッシングまでついている。そして何故か、うさぎさんの形に切ったリンゴまで… (先生がこれを食べる予定だったのかと思うとちょっとおかしい)。 思わず喉がなる。決して食い意地が張ってるわけじゃなくて…誰もがおいしそうと思えるような彩り豊かなお弁当だった。 燐さんが見守る中(遠慮なく)口に入れてみれば、どれもこれもおいしい。
「…すごい、おいしいです!」
決して食い意地が張ってるわけではなくて、お箸が進む。揚げ物はやっぱり魚だった。 表面はさくっと中身はしっとり。味付けも最高だ。 燐さんは、にこにこ、まだ笑いながら私の食いっぷりを見ていた(その視線が気にならないぐらいおいしかった)。
そして夢中になって食べている私の横で(後から思えばちょっと恥ずかしいぐらいの食いっぷり)、燐さんは自分のお昼ご飯だったのか別のタッパーを取り出して。蓋を開けた。 …中身は具沢山だけどお粥みたいなので、全然噛まなくても飲み込めるようなものばかりだった。私がそれを不思議そうに見ていると、
「のど…と、ないぞう…」
喉と内臓が弱いのだ、と教えられた。
「あ、…ご、ごめんなさい…」
普通のものを普通に目の前で食べてしまっていることに罪悪感を覚えて思わずお箸を止めてしまえば、燐さんは驚いたようにぶんぶん首を横に振った。
「おれ、うまそーにくってる、の、うれしい」
「………」
そういって自分は包帯の口の辺りを少しめくってお粥みたいなのを流し込む。…唇も焼け爛れていて皮がめくれていた。
医務室で見てしまった背中の火傷を思い出す。
それでも…やっぱり意地汚いことに食欲が失せることがないぐらい、燐さんのお弁当はおいしかった。
燐さんはお粥を少しずつ、少しずつ喉に流し込んでいく。とてもゆっくりとした食事で、普段、お昼休みの時間やら塾や祓魔師としての勉強やらで時間に追われて、パンとかでさっさと済ませてしまう 私達の日常とは違う、ほっとするような光景だった。こんなに包帯に巻かれてたぶん、無事な部分なんてない体なのかもしれないのに、 燐さんの纏う雰囲気はとても優しくて、穏やかだ。……いつも穏やかに微笑んでいるように見える先生は…そういえばいつもせかせかしていて、 こういう風にゆったりするタイプの人ではないかもしれない、と私はふと思った。
「ん」
「あ! ありがとうございます!」
私がぼんやりしていると、燐さんはいつの間にか食事を終えていて水筒からひんやり冷えたお茶を差し出してきた。それを受け取り喉に流す。いい香りのするジャスミン茶だった。 結局、先生のお弁当食べてしまったわけだけど、今更だけどよかったのかな、と考えていると燐さんはぼうっと噴水の水の流れを目で追っていた。そして懐かしそうに息を吐く。 この噴水に来たことがあったのかもしれない。その姿をみて、

『…やっぱり人と会話することに飢えてるのかもしれないな』

という先生の独り言みたいだった言葉を思い出した。
そういえば、わざわざ、お弁当を届けにくるというのも、もしかしたらどこか人恋しいかったからなんじゃないだろか、と私は思った。 火傷をした体でも学校に来て、できれば先生や先生の知り合いとかと話してみたかったんじゃないだろうか、と私の勝手な推測かもしれないけど燐さんの横顔をみてそう思う。
「燐さん…せっかくですから、私と何かおしゃべりでもしません?」
どうせ時間もあるし、と思い私はこの場を去るのをやめることにした。
燐さんはびっくりしたようで、目を丸くしてまじまじと私を見つめている。その人との交流に慣れていない感じが幼くて、少し可哀想に見えた。
「で、でも、おれ…うまく、はなせない、し…」
うまく話せないし時間がかかる、そうだ。でも私は首を横に振った。
「燐さんのこともっと知りたいんです」
何か探りたいとこそういうことじゃなくて、純粋に燐さんという人を知ってみたいと思ったのだ。そこにはすでに青い炎やサタンの落胤といった燐さんの出生は関係なかった。 それにもともと私も、人の出生をどうこう言えるような出生じゃないのだ。
これはたぶん大人から言わせれば生ぬるい、「仲間意識」。でもそれでも構わなかった。
燐さんは少し戸惑っていたけど、やがて、本当にうれしそうに目を細めて、こくん、と頷いた。







それから私達は塾が始まる時間までおしゃべりてしていた。燐さんはとてもゆっくりと話していたので話した内容自体はそんなに多くなかったけど、燐さんはむしろ私から色々話を聞くことを楽しんでいた。 主に塾での奥村先生はどうか、ということを聞いてきたので、私の知っている先生のこともたくさん話した。 モテモテでみんなの憧れで授業もわかりやすいし、銃を扱う姿なんてとてもかっこいい。というややミーハーなことばかりだけど、燐さんは本当にうれしそうに頷きながら私の話を聞いていた。 やっぱり弟という先生がどんな風に塾で講師をしているのか気になるみたいだ。けっこうブラコンなのかもしれない。それはもしかしたら先生もそうなもかもしれないけど。
話せた内容は少しだけだったけど、時間が過ぎるのがとても早くて楽しかった。会話というよりは燐さんの雰囲気がとても大らかで、私は「仲間意識」が心地よかった。 それは私から一方通行みたいなものかもしれないけど、それでも、それは心地よく私を包んでくれていた。それが燐さんという人だから成し得ていることなのかどうかは、 私にはよくわからないけど、きっとそうだったのかもしれない。

「……燐!?」

そんな私達の会話を打ち切ったのは、透き通った女の人の声で。
「……しえ、み」
と燐さんも驚いて立ち上がった。私もびっくりした。だって私達に駆け寄ってきた肩まで流れるキレイな金髪をした大きな目の和服美人な人。上一級祓魔師の「杜山しえみ」さんが駆け寄ってきたからだ。
杜山さんは私と燐さんを見て本当にびっくりしたみたいで、そして、燐さんも杜山さんを知っているみたいだった。というより、友達なのかもしれない。 杜山さんは最初こそ驚いて燐さんを見ていたけど、すぐに、とてもやわらかい笑顔になった。
「…燐、なんか…久しぶりだね!」
と、これまた驚いたことにぎゅっと燐さんの包帯を巻いた手を握る。杜山さんの手は細くて白くて柔らかそうで、心なしか、燐さんの目元が赤くなった気がした。
「う、うん…ひさし、ぶり」
「…体は、大丈夫?無理してない?」
「…うん」
杜山さんは燐さんの包帯だらけの手も顔にも戸惑うことなく、まっすぐ見つめている。むしろ燐さんのほうが青い目をきょろきょろ泳がせて落ち着きがないみたいだった。
「…しえみ、は?」
「元気だよ!」
「あ、…すぐ、ろ…しま…と、こねこ…」
「うん、みんな元気!」
なんだろう。少しカヤの外になってしまった私だけど、燐さんはどうやら杜山さんに友達らしい人達の近況を聞いてほっとしていた。杜山さんと奥村先生は確か塾の講師と塾生だったけど、 同じ年と聞いているので、燐さんと杜山さんは同期なのだろう。
そして杜山さんは何故こんなところに私といるのか(ようやく私のことに気付いてもらえた)と尋ねてきたので、私は本当にきれいな杜山さんを前に緊張しならが事の成り行きを話した。 杜山さんは私の話を聞き終えると本当にうれしそうに微笑んだ。その笑顔はとてもきれいだった。
「そう…ありがとう…燐とお話してくれて」
「い、いえそんな…」
まさか杜山さんと言葉を交わせる日がくるとは思わず、私は、うまく声がでないぐらい恥ずかしく思ってしまう。杜山さんは笑うと本当にキレイな人だった。 普段は祓魔屋で働いていて、あそこは祓魔師にならないと利用できないからまだ候補生の私が杜山さんと会う機会なんてないのだ。なんとなくスカートの端を引っ張ってしまう。 私のそんな様子に杜山さんは、くすくす、鈴を転がしたみたいに笑う。それから杜山さんと燐さんは簡単に近況を報告しあっていた。普段は電話でも連絡は取っているみたいだけど、 直接会うのは久しぶりなんだそうだ。その二人の会話でわかったけど、燐さんは普段は学園の敷地内のどこかにあるアパートに住んでいて、あまり外へは出ないらしい。 なんであまり外出をしないのか、それは聞かなくてもなんとなくわかった。火傷のせいなのかもしれない。
杜山さんと話しているときの燐さんは本当に楽しそうだった。燐さんの顔は目以外包帯で覆われているから表情は目を見ることで読み取るしかないけど、 それでも充分なぐらい燐さんは全身で感情を表す人らしい。
「そうえいば、燐、雪ちゃんが探してたよ!携帯にかけても出ないからってすごく心配してたんだから、もう帰ってあげて」
杜山さんは今思い出したというようだった。案外天然な人なのかもしれない、先生が燐さんを心配してたことを忘れるとは…。というか雪ちゃんって呼び方なんかかわいい…。そして、 燐さんは何故か少し寂しそうに目を伏せて、 パーカーのポケットの中にあった携帯電話を取り出した、確かに何件か着信があった。私は気付かなかったけど、もしかしたら私と話している間に何回か電話は鳴っていたのかもしれない。
燐さんは電話にでたくなかったんだろうか。
「…しえ、み…」
結局燐さんは電話で先生と話をしたあと(何を話していたのかは小声だったのでわからなかった)、携帯を切って、杜山さんと向き合った。
「…ゆき、おのこと……みてやってい…てくれ…」
どういう意味の言葉なんだろう。私にはよくわからなかったけど、杜山さんは大きな目を丸くしてから、少し眉をよせて、うん、と頷いていた。
「…おれ、が…こう、なってから…あいつ…ひっし、すぎて…」
しんぱいなんだ。
燐さんの潰れた声は、本当に先生のことを心配している様子だった。私は少し不思議だった。 あのなんでもできそうな先生が、私達にエクソシズムを教えてみんなを導く先生が「心配される」なんてことがあるんだ、って。
「…うん、わかってるよ、燐…。雪ちゃんのことは、ちゃんと見てるから」
杜山さんはもう一度燐さんの手を握った。燐さんは包帯の下でもごもご口を動かしていて、たぶん、焼け爛れた唇で笑おうとしていたんだと思う。 私はずっと突っ立って二人のことを見ていた。そこには決して私は入り込めないものがある。それを私は少しだけもどかしく思ってしまった。 私はまだ15歳で燐さんのことも杜山さんのことも知らない。そして二人の先生を心配する様子を見て、先生のこともたぶん全然知らないんだ、ってことに気付いた。







その後、燐さんは塾の場所を知っておきたいと言い出したので、杜山さんも一緒に私の塾の鍵を使っていくことにした。

「…兄さん」

扉を開ければそこにはようやく見慣れてきた塾へと通じる廊下と…眉間にシワを寄せてすごく怒っている先生がいて、私は思わず足を止めてしまった。
「どこに行ってたんだよ…勝手なことをして」
先生の言葉はとても冷たかった。先生のそんな話方を私は知らない。燐さんはもともと少しつりあがっている目をさらに吊り上げて、私を庇うみたいに前へ出た。 自分のせいで先生が私を怒るかもしれないと思ったんだろう。私もきっと怒られると思った。
でも先生はちらっと一瞬私を見ただけだ。
「…ごめんなさい、先生」
でも、その目に睨まれて何故かそんな言葉が出てきてしまう。私は何か悪いことをしてしまったんだろうか、そんな気持ちになってしまう。
「…君も、もう塾が始まるから行きなさい。なんで兄さんと一緒にいたのかは後で、」
「ねえ、雪ちゃん、そうじゃないの。この子は燐と話していてくれたんだよ」
杜山さんがにらみ合う二人の間に入ってきた。少し悲しそうな顔をしていた。でも先生はそんな杜山さんも軽く一瞥するだけだ。
「しえみさんもどうして?兄さんの状態はあなただってよく知っているでしょう?」
そしてそんな言葉を投げかける。 それを見て、本当に先生は杜山さんと付き合ってなんかいないんだろうな、と 私は確信した。あれは好きな人を見るときの目ではないと思ったのだ。杜山さんが言葉に詰まっていると、 燐さんが、
「んなに…いうなら、喚べば、よかった」
とやっぱり歪んだ声で、でも少し低くなった声で先生に言った。
「…言ったはずだよ、兄さんを喚べるのは「緊急時」の時だけだ。こんな私情では、」
そこまで言いかけて先生はもう一度私の方を見た。私は二人が何のことを話しているのかよくわからなかった。先生はいかにも私が会話の邪魔であるかのように、メガネのブリッジを上げて、 ため息をつく。

「もう行きなさい」

私は何もいうことができずに、すごすご、とその場を後にするしかなかった。
ゆきお、と燐さんが先生を咎めるように呼んでいた。

ちらり、と振り返れば杜山さんが悲しそうな顔で、二人の間に立っていて、 私より年上で背も高いキレイなその人は、何故かともて小さく見えた。











2012.5.16