夢喰う炎 8

 

●月…日 まるで俺のとまどいを表しているかのような豪雨…

…雪男と話し合ったというか…まだ全部、ってわけじゃねえんだけど…俺はとりあえず、自分の気持ちには整理がついたというか…。
とりあえず、こんなことが起きた…書き記しておく。

夜中に雪男にキスされて便所にこもって日記を書いたあと、俺は部屋に戻ってベッドに入ったけど、結局、朝、雪男のケータイの 目覚ましアラームがなるまで寝れなかった。でも、また寝れなかったことが雪男にばれると心配されるだろうから、俺はケータイのアラームでついでに 起きてしまった風をよそおった。雪男は、
「おはよう」
といつもの調子でほほえんで言っていた。…なんで何事もなかったようにふるまえるのだろうか、こいつは…おまえ、仮にもアニキにキスをした という自覚はあるのか、とつっこみたいのを必死でこらえた。いやいやいや、これからそのことについて、じっくり話し合わなきゃいけねえんだから、と 俺は顔を洗いながら気合を入れたつもりなのだが、部屋でゆーぜんとしている雪男を見ると、どうしても言葉につまってしまったわけだ。こいつ…昨夜、計よんかいも俺に …しておきながら、何故…。もしかしたらあれは俺の夢だったんじゃねえだろうか、と思ったのだが、しっかり見直した日記には 間違いなくキスされたことが書かれていた。俺は観念した…間違いなく、双子の弟に…されている、キスを、と。そして、腹をくくったつもりで話すタイミングをうかがってみるも…俺は ずっとそわそわしているしかなかったわけだ。ちなみにこういう時に限って、今日は学校のない土曜日だったので、雪男は「今日は、昼間はここにいるから」と 笑っていた。塾も今日は休みらしい。雪男はそれでも、机に向かってひたすらノートと教科書広げて勉強し、パソコンを使い塾に必要な書類を作っていた。 こいつほんとすげえと思った。そういえば、雪男とこうして昼間も一緒にいることは「初めて」だったので俺はやたら緊張していた。 いつ切り出そう、いつ切り出そう…ともんもんしながら雪男の買ってきたというマンガ雑誌を読んでみるも…どうやら俺は以前のマンガの内容についても忘れてしまっているらしく、 ストーリーが全部さっぱりだった。仕方ないので読みきりのやつだけ読んでいると、
「…兄さん、いくら休みだからって、勉強もしないのはダメだよ」
と言ってきた。俺は、キサマ、夜中に兄の寝込みを襲っておいて!と意味のわからない怒りを覚えたが、結局、へいへい、とてきとーに返事して 机に向かうことにした。どさり、と勝呂から借りた俺の休んでいた分のノートを広げた。それを見て、雪男は明らかに目を細めたが、 何も言ってはこなかった。…これが塾の「停学」を食らっていた分も含めて一週間分のノートであることは…この時点でバレていたと思う。 俺は勝呂のとってくれていたノートを広げてみた。すげえ字がきれーで整っているノートだった。うわー俺のと比べるとへこむわ…と 思いつつとりあえず目を通していくも…やっぱり、よくわからなかった。以前の「俺」もバカだったんだろうけど、それでも今の俺よりは 授業も理解できていたのだろうか…と思った。そのとき、雪男が、ぬお、っと俺の机のスペースに手を伸ばしてきたもんで、
「ぎゃー!」
と叫んで俺は、がたん、とイスを転ばして壁際に逃げていたんだ…。雪男は、びっくりしていた。
「…え、どうしたの兄さん?」
「どどどどどうしたもこうしたも!?なんだおまえこそ何なんだよ!いきなり手を伸ばしてきやがって!」
「は?…いや、消しゴムが兄さんの机にまで転がっていっちゃったから、取ろうとしただけじゃないか」
と言った。確かに机の上を確認してみれば、俺と雪男の机のスペースの境界線の真ん中に、使いかけの消しゴムが転がっていた。でも俺は、まだ心ぞうがバカみたいに ドキドキしていた。
「そそそそそうならそうと、先に言え!」
と俺はもうパニックになりかけてそう叫んでいた。雪男は、はあ?と首をかしげた。どうやら「俺達」はわざわざ相手の机に消しゴムが転がっていったからといって、 いちいち確認とってから相手のスペースへの侵入の許しを確認しあうようなセンサイな兄弟ではなかったらしい。
「…兄さん、なんか朝からおかしいよね?そわそわしてて挙動不審だし、僕のほうばっかりちらちら見てるし」
と雪男はメガネをかけなおして、そう言った。俺はこれを聞いて、つい、かっとなってしまった。今から思えば、雪男にはめられたのである…。
「だ、だってなあ、おまえが昨夜あんなこと…!」
と言ってしまってから、あ!と口を塞いだが時、すでに遅し。雪男は、腕組みして、やっぱり、といいやがったんだ。
「やっぱり起きてたか」
「き、気付いてたのか!?」
「「兄さん」は嘘のつけない人だからね。それに、僕を誤魔化そうなんて百年早いよ」
俺は、もう雪男には全部気付かれたたんだ、とわかって、思わず脱力してしまった。とりあえず、転がったイスを直して、腰掛けた。自分の机の上だけを(たいして進んでいない真っ白な ままのノートを)にらんでいた。雪男は、俺から切り出すのを待っていたようだった。
「…なんであんなことしたんだ?」
やがて、俺は本当に観念して、そう言った。雪男の方を見るのが恐くて、机をにらんでいた。雪男は、しばらく黙っていたけど、
「……したかったから…」
と答えた。俺は、その答え方にたぶんキスされた時よりも驚いてしまったと思う。俺と双子の兄弟だっていうのに、ずっと年上に見える雪男にしてはなんだか幼い答え方だと 思ったからだ。
「…おまえ、したかったからって…そうだったら相手誰でもよかったのかよ?」
俺は雪男の答えをそうやって読んで、なんだかすげえ腹が立った。でも、雪男はすかさず、
「違うよ」
と言った。俺は思わず机から視線を外して、雪男を見ていた。今度は雪男の方は机に目線を落としていて、ノート広げてシャーペン握ってるくせに、手は 動いてなかった。光の加減で、メガネの奥、雪男の青緑の目が見れないことを、俺は、ふあんに思った。
「第一、仮に誰でもよかったとしても、わざわざ双子の兄弟をその相手に選んだりすると思う?…僕だって…倫理的に問題あるってことぐらいわかってるよ… わかってたよ、そんなことは」
このとき、雪男の声は少しふるえているように感じた。俺は、大人っぽい雪男が、そんな声を出すなんてと思い、ますますふあんになったが、 雪男は俺から何か言い出す前に、それ、と俺の机の上の一週間分のノートを指差した。
「やっぱり勝呂君から聞いたんだ?」
質問してたのは、聞きたいことが山ほどあるのはこっちだったのに、雪男から聞いてきた。だけど、俺は、うん、と素直に頷いておいた。
「…口止めしておくべきだったかな」
と口止めなどというぶっそうな言葉を言い出したので、俺はおどろいた。その時、ちょうど、窓をたたきつけるような雨が降ってきたんだけど、俺達は かまっていられなかった。
「口止めっておまえ…」
「…一応、『兄のことは全部自分から話しますから、兄を混乱させるといけないので、君たちからは極力詳しいことは言わないでください』とは 言ってたんだけどね。そうか…勝呂君も情に熱い人だろうし…」
「俺が話してくれって頼んだんだ」
と俺は勝呂を庇っていた。そして、このとき、そうか、と思った。勝呂が、俺にあのことを話すのを少し迷っていたのは、雪男に事前にこう言われていたからだったんだ、と。 そして俺はますます雪男のことがわからなくなった。なんで、昨夜したこともそうだけど、停学のことまで言わなかったんだろうかって。
「…なんで…話してくれなかった?」
雪男は、変わらず、机の上をにらんでいるみたいだった。窓を叩きつける雨の音が強くなった。
雪男は、黙っていた。
「停学のことも…その前に「俺達」に何かあったってことも…なあ「俺達」、何があったんだよ?っていうか、「俺」はおまえになんかしたんだろ? 教えてくれよ、雪男。俺、一体おまえに何をしちまったんだよ?俺が悪かったなら、謝るから…な?…なあ雪男、俺」
俺はほとんど頼むこむようにそう言っていた。そのとたん、雪男は、がたん、とイスを引いて立ち上がった。俺はおどろいたけど、同じようにイスから立った。 雪男は雨のひどい窓の外を見ていたけど、やがて、ゆっくりと俺を見た。そのゆるい動作を俺はなんだかこわいと思った。
「…知りたい?」
雪男の声に温度がないように感じた。俺は、雪男がこわくなって、後ずさりした。雪男もその分、近づいてきた。俺は…この雪男が…俺が目を覚ましたばかりのとき、 やさしくしてくれたあの雪男と同じやつなんだろうか、と少し疑った。でも、疑ったところで、 そいつはやっぱり雪男だったんだ。
「忘れたままのほうが、いいってことも、あるよ、きっと」
「それじゃあ、前に進めねえだろう?それにどっちにしろ、思い出せば忘れたままにはならねえ」
「いや、人の頭っていうのは不思議でね。嫌なことは頭から排除する働きがけっこう強かったりするんだよ。 だから、今まで話さなかったんだ。兄さんが記憶を取り戻したとき、僕達の間で起きたことだけを忘れたままでいるかもしれない、って思ったから。 可能性にかけてみたかったのかも。その方がお互い何もなかったままで、いられるって思ったから」
「おまえ…そんなこと…」
俺は7センチの差の弟の顔を少し見上げるようににらんだ。けど、雪男は、とうとう、壁まで俺を追い詰めた。でも俺はそこまでされておいても、 確かに恐かったんだけど、雪男を突き飛ばそうとか、殴って逃げようとか、とにかく、雪男に何か暴力をしてまで逃げようとは思わなかったんだ。俺の中にある 何かがずっとずっと昔から、雪男だけには手を上げない、と誓っていたんじゃないだろうか。
「でも、勝呂君にそこまで聞いてたんなら…もう仕方ないね…。 確かに、兄さんは僕にね…ちょっとひどいかもしれないことをしたし、言った。僕が冷静になれないぐらいに、教師として勤められないぐらいにね。だから、 兄さんがケガをしてしまったのは完全な僕の落ち度だ。しえみさんのせいなんかじゃない…。僕は…」
雪男が、く、っとわずかにノドを詰まらせたことを、俺は察した。どん、と雪男は俺の顔の横に、腕を置いてきた。それでも俺は、雪男を見上げていた。
「でも、きっかけを作ったのは僕からだ」
「…おまえ、俺に何かしたのか?」
と、俺がそういった瞬間だった。
「…こういうこと…」
と雪男が言ったかと思うと…そっと、顔を近づけてきた。それまで恐いぐらいに温度のない声で話していたはずなのに、その動作が…唇のふれかたが やさしすぎて、俺は、あ、またキスされた、と感じるより前に、そのギャップに少し戸惑ったんだ。まるで無理に冷静になって、でも心の中はちっとも …それこそ、その時の豪雨のように荒れていたのかもしれない、と今は思う。
俺は、目を閉じることもできなかったから、すげえ目の前に雪男のきれーな目があった。雪男の中にも俺の青い目が映りこんでいた。しちまったキスは…ものすげえ はずかしーけど…やっぱり嫌じゃなかった。ほんの、数秒だったと、思う。雪男は、ゆっくり、口を離した。離れていく感触の方がすげえリアルだった。

「…好きだよ兄さん」

と雪男は言った。俺は、その言葉が頭に入るまで、しばらくかかった。でも、ひとたび頭に入ってくれば、俺は、顔が赤くなるのを感じた。 そして、さすがにそれが、兄弟の情という意味での「好き」じゃねえってことぐらいわかった。雪男、おまえ、って俺は戸惑ったけど…。
「…今度は、殴って逃げないんだ?」
雪男が悲しそうに笑った。俺は、口をぬぐうのも忘れて、ぼうぜん、としていた。
「…前の「俺」、殴って逃げたのか?」
「殴るっていうより、平手打ちだったけどね。拳を握ったのにそれにしたのは、「兄さん」のとっさのやさしさだったと思うよ。でも 思い切り、左の頬、打たれたね。思えば、どんなにケンカしたときだって殴られたことも髪を引っ張られたことさえなかったのに、ね」
俺は、やっぱり覚えてなかった。とまどいながら、雪男の左頬を見た。ホクロが三つもある、雪男の左の顔。そこには打たれたような痕は、残っていなかった。 そして、雪男はわずかに俺を見下ろしながら、こう言った。

「で、「兄さん」はこう言った『おまえ、なんてことをするんだ!!』って、怒鳴ったよ。その後はもう、僕のしたこと、僕の気持ちは全面否定。『兄弟なのにありえねえだろう』『おまえ、 寝不足で頭おかしくなったんだ』『気の間違いにしても、おかしいことだ、間違ってる』って。他にも色々言ってた。で、僕は言葉も出なかったから、「兄さん」は一頻り 言い放ったら、その時は部屋を出て行ったよ。そして、しばらく「兄さん」口を利いてくれなかった。僕も、自分のしたこと間違ってるってことぐらいわかってたし、 受け入れられるようなものじゃないって覚悟してたから…言い訳のしようもないしね。…しばらく経って、僕たち、一応、話し合ったよ」

俺はそこまで聞いても、むしろ何も思い出せない、映像さえ浮かんでこない自分がいい加減、いやになった。でも、それより、俺が、雪男に、そりゃ確かに 兄に向けて「好き」って想うことは普通に考えて普通じゃねえってことぐらいわかるけど、それでも俺は、俺が雪男に そんな風にまでしたなんて、信じられなかった。今、これ書いてる今も、信じられない。だって、俺は…。

「…話し合ったけど、余計にこじれた…。「兄さん」は…そのとき、「兄さん」は僕のそれまでの生き方さえ否定するようなこと、言ったんだ…。まあ僕も、そのとき、 兄さんにひどいこと言ったけどね」
何か思い出した?
と雪男はそこで聞いてきた。俺は、全然何もピンとこなかった。首を横に振った俺に、雪男は、ふと、力なくほほえんだ。
「…ひどい人だね、兄さんは」
そして、雪男はもう一度、キスしてきた。そして、離れた。でも、 俺は思わず、雪男の頬を両手でつかんでいた。雪男が、少し、肩をゆらすのがわかったけど、放せなかった。
「…なんで泣いてるの?」
俺は…そのとき、雪男に言われて初めて気付いた。俺は泣いてたんだ。泣きたいのはこっちの方なのに、と。 力なく言っていた雪男の頬を、特に「俺」がうっちまったという左の頬をなでた。
「わりぃ…俺…」
と俺は言っていた。雪男は、目を見開いていた。その雪男に向かって俺はこう言っていた。
「俺…信じらんねえ…雪男にんなことしたなんて…。だって、俺……いやじゃねえのに…。雪男にキスされたことは、びっくりしたけど、 いやじゃなかったし…頭なでられることも、頬をなでられることも、いやじゃねえのに…なんで、「俺」は」
…雪男とは「出会って」まだ一週間しか経っていない俺だけど、俺はもう雪男が大好きになっていたんだって俺はそのとき、初めて気付いた。 袖で流れてくる涙をぬぐった俺に、雪男はもう一度、キスしてきた。その時は、目を閉じてみた。マブタの裏は真っ暗で、 でもむしろ青い炎が出てこないことに、ほっとした。
「…なんか…僕もう…兄さんがわからないよ…。あの時は、頬を打って、ひどいこと散々言って、僕の生き方まで否定したくせに、今は、逃げもしないで、 そうやって泣いてくれる…僕はもう迷いに迷って、僕の本心を打ち明けたけど…でも、兄さんは…どっちが兄さんの本心だったの?」
と、雪男は途方に暮れたように言っていた。目を開ければ、迷子になった子どもみたいな顔をした雪男がいた。
「…俺も…「俺」がよくわかんねえ…」
でも俺たちは、もう一回キスをした。…その後は、なんかもう一生分ぐらいしたんじゃねえの、ってぐらい、したな、うん…。もうぶっちゃけ、兄弟でキスとかなんとか そういうことどうでもよくなってた、だって…いやじゃねえから。むしろ俺は…うれしいのかもしれない。

でも、そうしてるとき、俺はマブタの裏で不思議なものを 見たんだ。真っ暗なだけだったはずのマブタの裏に、俺は「俺」を見た気がしたんだ。…「奥村燐」が独りベッドの上で体を丸めてふるえているような…そんな 映像を見た気がしたんだけど…それが何か、わからない。

その後、はもう…俺達、ずっと黙ったままで…今、これを書いてるのはもう夜なんだけど…晩飯はやっぱり作れなかった。腹が減ってないのだ。 雪男も同じだったらしく、さっき風呂から戻ってきたかと思えば、もうベッドに入っていた。雪男にしてはめずらしく早い。

つい、昨日まで俺は、雪男がわからねえ、って思ってた気がしたけど(いや、やっぱりまだわからねえことあるけど)、 今は…「奥村燐」が一番、よくわからないでいる。俺のことなのに、俺は「奥村燐」がわかっていない。 わかってないけど、今の俺の気持ちなら…ちゃんとわかってるつもりだ。確かに昨日は雪男にあんなことされて戸惑ったけど、 あの時から、いやなんかじゃなかったんだから。むしろ、俺、雪男のこと、受け入れられてる気がしてる。 「拒絶」したくない、っていう俺がいるんだ。
受け入れたい、雪男を。
それが今の俺の素直な気持ちだ。「奥村燐」が本当は雪男のことどう思ってたのか、知らねえけど、 俺は雪男を受け入れたいって思うから…そうしたい。正直、すぐにそれを雪男に告げるべきかわからねえ。雪男は、俺の気持ちについては 結局、追求してこなかったから。でもそれは雪男のやさしさだろう。
双子の弟だけど、兄弟だけど、それでも、俺。

やっぱり、まだちょっと雪男と話し合いきれてないところはあるから、雪男だって今日はもういっぱいいっぱいで、まだ 細かいところ話してないだろうし(以前「俺達」が話し合ったというとき、なにがそんなにこじれたのか、それを まだ聞いてなかったな、そういえば…)。全部話し合えたら、俺は、雪男を受け入れようと思う。
だって、俺…いやもうなんか、はずかしーから、今日はここまでだ!



あ…そういえば、青い炎の夢のこと言うの忘れてた…明日にでもちゃんと言うか…明日は日曜日だし…今度こそ雪男の好きなメニューで晩飯作ってやろうと思う。











2011.6.22